iiiiD 12.2020

magazine 2020-12

フラットネスをかき混ぜる🌪(2)
二次元平面と三次元空間とが現象として立ち上がらないパターンを示す「写真」🌫
文:水野勝仁

ルーカス・ブレイロックはPhotoshopで加工した痕跡をあからさまに残す作品を制作している。それらの作品は、彼が所属するギャラリーのrodolphe janssenのウェブでまとめてみることができる。(*1) また、ブレイロックが作品制作に用いているPhotoshopのツールの使い方を説明してくれる映像もYouTubeにアップされている。(*2)

連載「フラットネスをかき混ぜる 」の2回目は、写真家・ライターのTaylor Dafoeがブレイロックに行ったインタビューを手掛かりにして、ブレイロックの写真を「幾何学的要素を持たないピクセル」を操作するものとして考察していく。ブレイロックの写真はPhotoshopでの加工に注目がいってしまうけれど、その加工は写真を色情報が集積したフラットネス=「情報源」と見なすことから生じるピクセルの選択と色情報の操作から生まれたもので、平面や空間といった幾何学的要素を基本としてきた写真に対する考えでは捉えがたい表現であることを示していきたい。

コピースタンプツールを撮影しているような感覚

Taylor Dafoeは2016年にウェブマガジン「BOMB Magazine」で、ブレイロックにインタビューを行なっている。そのなかで、Dafoeはブレイロックの写真を奇妙な仕方で評し、ブレイロックはその評価に感謝しつつ、写真そのものへの興味深い考察を話す部分がある。それが以下である。

TD:写真をコピースタンプツールで操作しているのではなく、コピースタンプツールを撮影しているような感覚があります。理にかなっているとすればですが。
LB:ありがとうございます!これは私が探究しているものです。今、写真について考えてみると、写真の表面の背後には、写真の空間であり続けてきた物質的な空間と非常に可塑的な仮想空間とを共有している二つのリアリティがあるような気がします。人々は写真をイメージとして平面的に扱いたがるが、私はそれよりも絵画的な空間、写真がどのような空間を内包するかということに興味があるのです。
(*3)

ルーカス・ブレイロックの写真が持つ奇妙な感じは、彼自身が述べているように平面と空間との葛藤にあると言えるだろう。しかし、前回引用したアルヴィ・レイ・スミスの「ピクセルには幾何学的要素がない」ということから考えると (*4) 、デジタル写真には平面や空間といった幾何学的要素は入り込めず、位置情報とともにある色情報が集積した「フラットネス」があるのみとなるだろう。ブレイロックのテキストから私が取ってきた「フラットネス」も「二次元平面」を連想させる言葉ではあるのだが、この言葉には「単調さ」という意味もある。私が「フラットネス」という言葉を使うときに、そこには情報しか存在せず、平面や空間といった幾何学的要素を含まない何かを想定している。情報の集積が「単調さ」を示すのかどうかはわからないけれど、位置情報と色情報を示す数値の羅列を見続けるのは、家やコップなどを表している画像を見るよりは単調かもしれない。

単調な「フラットネス」からブレイロックの写真を考えるために、彼にインタビューをしているDafoeの「写真をコピースタンプツールで操作しているのではなく、コピースタンプツールを撮影しているような感覚があります」という言葉を取り上げたい。ブレイロックの写真は確かにコピースタンプツールで操作されていて、それが平面と空間とのバランスをうまく崩し、彼の作品を興味深いものにしていると言える。しかし、Dafoeはブレイロックの作品について、コピースタンプでの操作を取り上げるのではなく、コピースタンプツールそのものを撮影していると評している。そして、ブレイロックも彼のDafoeの言葉に感謝を示し、「私が探求しているもの」と応えている。このラインより上のエリアが無料で表示されます。

コピースタンプツールを撮影するといっても、Photoshopのチュートリアル映像のようにその使い方を撮影しているわけではない。Photoshopのツールは写真を加工するためであり、うまく加工された場合は、そのツールがどこに使われているのかがわからないことが理想とされている。しかし、ブレイロックの写真では、あからさまにコピースタンプツールの痕跡が残っており、それが彼の作品を魅力的なものにしている(と、私は考えている)。このように考えると、Dafoeの「コピースタンプツールを撮影している」という指摘は、ブレイロックが行っていることを的確に示した言葉だといえよう。

しかし、もう少し考えてみたい。コピースタンプツールでの操作の痕跡が残る写真が、なぜ平面と空間との葛藤を生むようなものになるのか。このことを考えるために、まずはコピースタンプツールとは何を行うツールなのかを確認したい。Adobeの「Photoshop ユーザーガイド」の「写真のレタッチと修復」の項で「コピースタンプツール」は以下のように説明されている。

コピースタンプツールを使用すると、画像の一部を同じ画像の別の部分にペイントしたり、カラーモードが同一の任意のオープンドキュメントの一部にペイントしたりできます。
(中略)
コピースタンプツールを使用するには、ピクセルのコピー(複製)元とする領域にサンプルポイントを設定し、別の領域をペイントします。(*5)

この説明には平面と空間という言葉が出てこない。使われているのは、画像、ペイント、ピクセル、コピーといった言葉である。コピースタンプツールでは既存のペイントという意味が拡張されている。ある部分の色を別の部分にコピーすることは以前からも行われていたと考える人が多いだろうが、ここで行われているのは、「ピクセル」がもつ色情報のコピーアンドペーストなのである。コピースタンプツールは、レイ・スミスが拡張したペイント概念のもとにある。

単に一定の色のストロークのペイントをシミュレートするのではなく、”ペイントブラシのピクセルの下で望みうるあらゆるイメージ操作を行う “という意味にこの概念を拡張しました。(*6)

レイ・スミスが拡張したペイント概念のもとで、Photoshopの操作とそこから生成される「写真」を考えなければならない。画像がピクセルに分割され、ピクセルが操作可能な色情報を持っていることから、写真と見做されるものへの操作を考える必要がある。コピースタンプツールで行っていることはサンプルとされたピクセルの色情報をターゲットとなるピクセルにコピーすることである。ここで起こっているのはある点の情報を別の点へ移しているだけとも言える。それは、ペイントブラシのようにキャンバスという平面である地点から別の地点へとブラシを移動させることではない。ディスプレイの一つのピクセルがもつ情報を選択し、コピーし、別の点にペーストするときに存在するのは、二つの点とその色情報だけである。そのあいだの平面は存在しなくてもよい。ただ二つの点の座標情報とそこに色情報があればいいのである。

ブレイロックは確かに写真を作品としているけれど、彼が制作している際にやっていることは、カメラとコンピュータとを組み合わせた作業であり、カメラは「アシストカメラ」と呼ばれ、制作のプロセスに組み込まれている。(*7) ブレイロックはカメラのシャッターボタンを押すけれども、それ以降のプロセスが全く異なっている。彼は撮影した写真をスキャンしてコンピュータに取り込み、その写真に対して、Photoshopを操作している。このとき、カメラはPhotoshopで作業するためのピクセルに「初期値」としての色情報を提供するものとなっている。コンピュータと結びついたアシストカメラは、Photoshopなどのソフトウェアで操作される色情報のフラットネスに対して「初期値」を提供する装置なのである。そして、ブレイロックはこの初期値の色情報をコピースタンプツールで、Aの色情報をBにコピー、Cの色情報をDにコピー、という作業を繰り返すことになる。

Photoshopで作業する人たちはブレイロック含め、これまでの意味で写真やグラフィックを制作しているわけではない。そこで行われているのは、フラットネスを構成する位置情報と色情報の組み合わせを変更し続けるという単調な作業である。インターフェイスのデザインを専門とする上野学は、Photoshopがそもそも何をしているのかを次のように指摘している。

例えば Photoshop でグラフィックを作ることを考える。我々はツールを使って絵を描いているつもりだが、実際は Photoshop がバイナリーデータを生成しているだけだ。画像のピクセル数が決めれば、我々が意思を示さなくても、理論上はそこに表現できるグラフィックの全パターンを自動的に生成できる。(*8)

Photoshopは名前が示すように写真に関する操作を行うソフトウェアだと考えられがちであるが、実際には上野が指摘するようにピクセルを埋めていくデータを生成しているにすぎない。Photoshopは写真という馴染み深い事象を連想させながら、実際にそこで行われているのはピクセルの選択と色情報の操作という、これまでの写真に関する作業とは全く異なる操作なのである。そして、そのピクセルは幾何情報を持つことなく位置情報と色情報を持つのみのフラットネスを構成している。ブレイロックがコピースタンプツールで行っているのは、フラットネスの色情報の位置を置換して、データを生成しているだけである。しかし、色情報の置換の連続が、平面と空間との関係を考察させるようなパターンになっている。ブレイロックの写真を見るものは、ブレイロックも含めて、フラットネスを構成するピクセルに対して、位置情報と色情報とを見て取るのではなく、ピクセルの集合がつくるパターンを見てしまう。それゆえに、そこに色情報のフラットネスで起こった情報の置換を見るのではなく、コップや家といった対象とその周囲の平面や空間の移動を見てしまう。Photoshopでは、これまでの写真に関する作業とは全く異なり、幾何学的要素を持たないピクセルの選択と色情報の操作が行われているにもかかわらず、私たちも、ブレイロック自身も制作した色情報のフラットネスを幾何学的要素と深く結びついた写真として認識してしまうことから、そこに平面や空間という言葉が入り込んでくると考えられる。

物質的フラットネスと現象的フラットネス

色情報を持つピクセルの集合がフラットネスを形成している。フラットネスは「レイヤー」として捉えがちであるが、レイヤーではない。フラットネスは平面という幾何学的要素を持つものではなく、ピクセルに具現化された位置情報と色情報とが集積されたものである。このことをクロード・シャノンの通信モデルに沿って考えてみたい。

「情報源」に位置情報とセットになった色情報が存在して、フラットネスを形成している。情報源から選択された色情報は「メッセージ」として「伝達器」としてのディスプレイに伝送される。色情報はディスプレイのピクセルの明滅によって具現化され、物理世界に送信される。ディスプレイから送信された信号を捉えるのは「受信器」たるヒトの眼である。ヒトの眼はピクセルの明滅からパターンを見出し、メッセージを復元し、「目的地」としての意味を見出す。シャノンの通信モデルのなかでフラットネスは、情報源と伝達器との部分に当たる。物理的にはディスプレイのピクセルの集合が情報源から選択された情報を具現化し、フラットネスを構成するが、その奥には選ばれる可能性があった情報が常に存在している。ディスプレイが表示しているのは情報源と結びついた「物質的フラットネス」というべきものである。ディスプレイというピクセル自体は位置情報と色情報しか持たないが、ピクセルを具現化する機構は物理的なモノであり、ここで平面という幾何学的要素が有無を言わせず入り込んでくる。さらに、物質的フラットネスから送信される信号を受け取ったヒトの眼は情報から一定のパターンを作りだす。このパターンを形成するのが「現象的フラットネス」というべきものであり、ここでも平面や空間といった幾何学的要素がパターンから否応なく呼び出される。情報源に位置するのは、幾何学的要素がない単調なフラットネスであるにもかかわらず、情報が伝送されるとともにフラットネスは幾何学的要素を持つ物質的フラットネスと現象的フラットネスという二つの対応物が現れるのである。

情報源における幾何学的要素を持つことのないフラットネスは、物質的にどうしても幾何学的要素を持たざるを得ない物質的フラットネスと対応しなければ具現化されない。さらに、情報のフラットネスは、物質的フラットネスに対応してきたために二次元平面と三次元空間とが否応なく結びつく現象的フラットネスで復号されなければ、ヒトの意識にメッセージを届けることができない。幾何学的形態を持たない情報源と二次元平面と三次元空間という幾何学的形態から逃れられないディスプレイとヒトの意識とのあいだで、ブレイロックはPhotoshopでコピースタンプツールなどを用いて情報源にある情報そのものを直接操作する。情報源で選択・操作される情報は多様であり、現象的フラットネスと平面や空間との結びつきを壊すような情報を選択し、物質的フラットネスに表示させることもできる。このとき、情報源という単調なフラットネスが持つ多様な情報そのものが、現象的フラットネスにおいて平面や空間の形成を阻害するという意味で「ノイズ」となっている。多くの写真では平面や空間といった幾何学的要素は適切な領域に収められたパターンを構成し、平面と立体とを立ち上げるメッセージとして機能している。しかし、ブレイロックの作品は、Photoshopのコピースタンプツールでピクセルの色情報を置き換えながら、ヒトの意識が現象的フラットネスとともに否応なく形成するはずの平面と空間とが立ち上がるのを阻害するパターンをつくり出しているのである。

LB:テクノロジーが求めるスピードや直感的な操作性のようなものです。新聞について考えてみてください。新聞は手のために作られています。スイッチボードは文字通りの接続の論理を持つものです。
TD:AからBへ。
LB:そうですね。そういうことを考えながら、実のところそれほど直観的ではないデジタル空間で遊んでいるんです。ツールを使って学んでいこうとしているとも言えます。(*9)

ブレイロックは写真が問題としてきた二次元平面と三次元空間との幾何学的関係を意識しつつ、コンピュータの「接続の論理」を具現化するものとしてPhotoshopのコピースタンプツールなどを使いながらピクセルとその先にある情報源そのものの情報を選択・操作して、平面と空間とが適切に立ち上がることないように色情報の集合をつくっている。コンピュータにとってブレイロックが制作する作品は、適切に処理された情報がピクセルの集積がつくる物質的フラットネスを得て、ディスプレイに表示されている一つのパターンであって「ノイズ」ではない。そのパターンはヒトの意識にとってのみ、平面も空間も現象として立ち上がらない「ノイズ」のように見える情報の現象的フラットネスを形成する。しかし実際のところ、「ノイズ」は物質的フラットネスにも現象的フラットネスにも存在していない。情報源が持つ選択の多様性が形成する単調な色情報のフラットネスそのものが「ノイズ」を孕んでいる。カメラがコンピュータと結びついてはじめて、写真は「ノイズ」を孕んだ色情報のフラットネスへアクセスできるようになったのである。ピクセルという幾何学的情報を持たない要素の集積の多様な選択を可能とする情報源とその具現化であるディスプレイという物質的フラットネスとの組み合わせで可能になるパターンにおいて、二次元平面と三次元空間とをかき乱し、それらが現象として立ち上がらない現象的フラットネスをいかにつくるか。これがコンピュータと結びついた「写真」の挑戦するべきあらたな問題なのであり、その一つの試みがブレイロックの作品なのである。

*1 rodolphe janssenのルーカス・ブレイロックの作家ページ、http://www.rodolphejanssen.com/artist/lucas-blalock/(最終アクセス 2020年8月15日)
*2 Lucas Blalock’s Digital Toolkit | Art21 “New York Close Up”, https://www.youtube.com/watch?v=7Rld1xWlWDI&feature=emb_title (最終アクセス 2020年8月15日)
*3 Lucas Blalock and Taylor Dafoe, ‘Lucas Blalock by Taylor Dafoe’, “BOMB Magazine”, 2016, https://bombmagazine.org/articles/lucas-blalock/ (最終アクセス 2020年8月15日)
*4 Alvy Ray Smith, ‘A Taxonomy and Genealogy of Digital Light-Based Technologies’, Sean Cubit, Daniel Palmer, Nathaniel Tkacz ed., “Digital Light”, 2015, p. 25.
*5 「Photoshop ユーザーガイド」の「写真のレタッチと修復」https://helpx.adobe.com/jp/photoshop/using/retouching-repairing-images.html (最終アクセス 2020年8月15日)
*6 Alvy Ray Smith, “Digital paint systems: an anecdotal and historical overview,” in IEEE Annals of the History of Computing, vol. 23, no. 2, pp. 4-30, April-June 2001, doi: 10.1109/85.929908, p.18. 
*7 Lucas Blalock, ‘DRAWING MACHINE’, in Foam Magazine #38, pp. 205-208.
*8 上野学(@manabuueno)のツイート、https://twitter.com/manabuueno/status/1283048599086149633?s=20 (最終アクセス 2020年8月15日)
*9 Blalock and Dafoe, 2016.

水野 勝仁 1977年生まれ。メディアアートやインターネット上の表現をヒトの認識のアップデートという観点から考察しつつ、同時に「ヒトとコンピュータの共進化」という観点でインターフェイスの研究も行っている。主なテキストに「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」(MASSAGE MAGAZINE)、「インターフェイスを読む」(ÉKRITS)など。