iiiiD 09.2020

magazine 2020-09

連載:「写真±(プラスマイナス)」(倉石信乃×清水穣)
写真は私たちの生活に身近であるとともに、写真について検討するためのトピックは日々の暮らしの中にも潜んでいます。この連載は、倉石信乃、清水穣という2人の写真評論家に、日常的なモチーフを介して、そこから見つけられる写真のあり方について述べてもらい、写真について複数の視座から考えてみようというものです。共通のテーマから、それぞれどのような写真性が語られるのか、発見と思考をともに愉しんでもらえたらと思います。
(企画/編集:松房子)

連載:「写真±(プラスマイナス)」(倉石信乃×清水穣)
第2回 類似

*

ミメーシス覚書 山城知佳子《創造の発端—アブダクション/子供—》
文:倉石信乃

1

 複製メディアに依拠した芸術におけるミメーシスの可能性は現在、より切実に模索されているように思える。この傾向に共通する愚直な身振りには、懐旧的な具象や再現へ向かう、既視感に満ちた自己実現を目指す芸術衝動とは決定的に異なる何かがある。このことを検討するには、近代の前衛においてミメーシスが生き延びてきた事績を、否定神学的な言辞によって語りもしたアドルノの、次のような議論が助けとなる。

 ミメーシス的な衝動の力によって生物は、芸術家が模倣をおこなうようになるずっとまえから、みずからの周囲のものに同化してきました。まずはシンボルとなり、そのあとに装飾となり、最終的に余分なものに見えるようになったものは、人々が人工物をつうじて適合してきた自然形態のなかに起源をもっています。人々がそうしたミメーシス的衝動のなかで表現する内的なものは、かつては外的なものであり、否応なく客観的なものだったのです。 (*1)

ミメーシス的衝動の中に、「かつて」だけでなくあえていまこそ、「外的なもの」、「否応なく客観的なもの」を見出すこと。われわれの時代のミメーシス的衝動には、模倣論が歴史的に反復してきた、生物レベルでの自然原理から説き起こされる原初的な芸術の身振り=ミミクリー (*2) が、いわば「ただ模倣すること以外にいかなる方途がありうるか」という、外部世界の危機に対する切迫した応接としてある、なりふり構わぬ問いへと、隈なく渡しかけられているのだ。模倣は今も昔も記憶しておくこと、場合によっては記憶を身体に刷り込むことで模倣対象と同化し、それへと生成変化することによる「安全」への余儀ない逃走の試みにほかならない。安全なる語の凋落と頽廃が購いえないものだとしても、である。
 1980年代にキャリアを形成した、森村泰昌のようなアーティストにおける先駆的な他者模倣は、今世紀に入り三島由紀夫に擬態した映像作品《烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)》(2006年)など注目すべき作例に到ると、そうした危機への応接がよりシリアスに看取できるようになった。ただ、その多くは模倣する状況設定自体が恣意的に改変されるため、作品は模倣対象となる他者の「原義」からずれていき、修辞の戯れとなる。他者模倣の必死さという同じ賭けの局面において、ここで私の想定している作例はむしろ、能う限り字義的・直解的なものへ向かうものである。近年におけるその端的な事例の一つは、耳の聞こえず発話が困難なシリアの少年が、自分の戦争経験を身振り手振りと非言語的音声で鮮明に再現する、エルカン・オズケンの映像作品《ワンダーランド》(2016年)に認められる。

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 オズケンの凄絶な作品では、現在進行形の戦争における直近の過去が題材となる。他方、山城知佳子が映像作品《あなたの声は私の喉を通った》(2009年)で扱うのは、風化の進行し、証言者を一人ずつ喪っていく現況における、先の大戦の記憶の継承である。サイパン島での玉砕戦に巻き込まれた家族の死を目撃しながら生き延びた、年配の男性がその経験を語る証言を、作者の山城が自ら登場し画面の中で文字通り引き継いで反復する。画面のオーバーラップを伴う、この引き継ぎと繰り返しは、一字一句の暗誦を通じた「意味」の獲得に関わるだけでなく、「泣く」という言語外で生じる感情の堰の決壊、その伝わりをも含むものである。俗にもらい泣きという、受け渡しの構造が顕わになっていく。そのためには率直な模倣の手続きが必要であった。泣くこと、それはその都度一回限りの偶有性を持ちながら、決定的な出来事そのものである。山城は、泣くという、小さいけれどもそれ自体後戻りできない爆発において生じる無為と遅滞のさなかで、取り返しのつかない過去の部分に触れているのだ。
 《あなたの声は私の喉を通った》では、山城の出身地でありかつ、現在の主な制作拠点である沖縄の歴史的記憶を直接扱うのではなく、サイパンでの戦時の心的な傷痕を沖縄に持ち帰った証言者の言葉に拠っている。そのことが過去の同じ一時代における地名と地名とを縒り合わせて、作品に空間的な拡張性と、記憶の深淵を覗くかのような汲み尽くしがたいコノテーションとをもたらしている。

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 複雑なコノテーションの湧出という事態は、証言者から聞き取った言葉を実感しえなかったという経験に由来している。あるインタヴューで山城が率直に述懐しているように、一人の沖縄戦の証言者の言葉を「「分からない」と思ってしまった」という「後ろめたさ」があればこそ、字義的な模倣を通じて理解しがたい他者の理解を引き寄せようとしたのである (*3) 。他者の証言の理解しがたさから、字義的な模倣を開始するという試みは、《あなたの声は私の喉を通った》に先行する映像作品《黙認浜—浦添市イバノの海—Complex.1》(2007年)においても見ることができる。
 自身の土地を奪われた沖縄の農民たちが余儀なく無断で米軍基地内に入り込み、農作業を行う場所を「黙認耕作地」と呼ぶ。「黙認浜」とは、その類推から山城が名づけたものであった (*4) 。那覇の都心にもさほど遠くない浦添にある、基地に隣接したがゆえに、逆説的に日米両政府の利用や開発の埒外に置かれ、比較的自由な漁労や憩いの場として活用される海浜のことを指している。その空白のゾーンは、1970年代以降、ポスト産業社会への移行期にあった世界の写真家たちがこぞって記録した、正規の産業構造のマージンに位置する空き地、いわゆるテラン・ヴァーグを髣髴させもする。しかし山城が取り上げたのは、いっそう剥き出しで過酷な生権力の作用の、いわば「凪ぎ」としてあるプレゼンスであり、アメリカと日本による二つの政治的な斥力が偶発的に生みだした、つかの間の緩衝地帯だ。汚れ、荒み、無視され、散漫に放置されているが、そうであるがゆえに正規の場所のようなガバナンスが効いておらず、合法的な利用や登録の埒外にある分だけ、逆説的につかの間の「自由」を味わうことができる。映像では、そうした場所の特性や来歴が、当該の風景描写とともに、名を明かされない二人の中年男性へのインタヴューを中心に綴られていく。インタヴューには、この作品そのものにおける核心を衝き、かつ山城の映像制作をつねに貫く関心事の一つ、「追体験とは何か」という問いが文字通り含まれている。そのうちの一人のインタヴュイー、政治や芸術の前衛をくぐり抜けてきた世代に特有の理屈っぽさを振りまく、浜辺で語るその男は、山城にとって世代間の隔たりを強く感じさせる存在に違いない。

追体験なんていうのはある意味でセンチメンタルでつまらないことかもしれませんね。だけどそんなことをしないとたぶんやっていけないんじゃないでしょうかね。日々生きる心理として。

そう語る音声は彼自身のものではなく、山城自身が「アフレコ」によってそれをなぞって挿入したものであり、この変声という手法は、ほどなく《あなたの声は私の喉を通った》へと引き継がれた。にわかに得心しがたい存在との邂逅における異和を異和のままに、隔たりを隔たりのままに刻印しながらなお、それを身体化することで共感の手がかりを得ようとする、模倣の試行であった。

4

 山城は、後続する映像作品《創造の発端—アブダクション/子供—》(2015年)において、模倣が創造へと転位する契機とプロセスそれ自体を主題化した (*5) 。これは、舞踏家大野一雄を「コピー」する川口隆夫のパフォーマンス作品《大野一雄について》の制作プロセスを記録しながら、当の記録が自ずから逸脱して映像そのものの自立的なパフォーマンスへ移行する、類例を見ない作品である。わずか18分のショートフィルムだが、装われたドキュメンタリーからフィクションのリアリティへのシームレスな移行が果たされる中に、「母」を模倣する大野を模倣する川口を模倣する山城・・・というような、ミメーシスの連鎖が複数の層の重なりにおいて生じている。とはいえその作品に混濁した晦渋さはなく、川口の顔と身体の肌理をたえず至近距離で「走査」する山城の視線は、清潔な触覚的エロティシズムを伴う、簡明なテクスチャーを形成していく。
 一般に、川口が自身のパフォーマンス作品《大野一雄について》でコピーする大野の作品は《ラ・アルヘンチーナ頌》《わたしのお母さん》《死海—ウィンナーワルツと幽霊》の三つで、いずれも大野の代表作と言ってよい。大野の舞踏を制作するためのテクストを収録した「舞踏譜」を読むと、詩的な豊饒さに満ちたイメージが彼の舞台の前提としてあることが分かる。三作を貫くのは、絶対的な舞踏の「起源」の存在であり、戦前に一度限り舞台を目撃したダンサーのアルヘンチーナと、現実の母はそれぞれ大野を「励まし」、鼓舞してきたとされる (*6) 。モデルとしての二人の「母」はともに幽霊となって大野に憑りつく一方、大野はその幽霊の影をたどっていくと、アナクロニスティックに母を彼自身が「生み出す」ことに到り着く。そのミメーシスの軌跡が舞踏という逆光線である。かくのごとく、「母」にまつわる記憶と言葉がイメージの錘鉛となって、大野の舞踏を支えていた。
 中でも、大野の舞踏の「創造の発端」を明かしている教育的な「逸話」は、死に瀕した彼の老母が夥しい体液を放出したことと、自分が「鰈のように泳いでいる」と語ったという二つである。逸話にある、流動や奔出、滴下やわだかまりといった変幻して止まない水という物質の非形象的な仕草や、瀕死の母が鰈のごとき平たい魚へと生成変化を遂げたという、個体発生が系統発生を模倣的に遡行する道行きを、大野が多量の詩的言語によって記録し導出していること。それは、モティーフの選択からコリオグラフィーの成立に到る彼のミメーシス的思考にかいま見える、儀式的な自己神話化のヴィジョンをよく表している。
 同じ「創造の発端」に触れる局面、つまり自分のパフォーマンスを構築するための手がかりを探るところで川口がしているのは、もっと即物的で散文的な試行であって、大野の字義的な模倣以外の何ものでもない。川口は、ヴィデオのモニター上に大野の上演記録を静止画像で映し出し、その動きのかたちを鉛筆で大量に模写していく。ストップモーションの画像を手許の紙に、たおやかで生気あるドローイングによって何枚も引き写す川口は、「うつくしい」と小さく呟くほかには、ほとんど無言で孤独に大野の舞踏と向きあうばかりだ。注目されるのは、ドローイングの余白にしばしば、動作が擬音語を伴って書き記されることだ。

 ククッククッ 2段階で首をすくめる
 クルクルッ
 腕を前へ
 ガクッと 落ちて 顔を ピクッと 起こす
 右手 ウデ下ロス
 キツネ【右手の形の素描—引用者注】
 8の字 ゆらゆら 下ろす
 ピョン ピョン 飛び はねて ウデは ぶらんぶらん

アトランダムに引き写してみたが、ここには、雄弁な修辞と挿話に彩られた大野の壮大な「舞踏譜」とは、実に対照的な言表行為がある。模写の余白に急いでメモされたこれらの言葉は、自らの身体を正しく大野のそれに同期させるために必要な、実践的でシンプルな合図や備忘以外の意味は持たないだろう。しかしそれを簡素な、「詩ならざる詩」と読み換えることも可能だ。プラグマティズムに貫かれた川口のミニマリスティックな作業、つまり模倣という一途な営みが転じて、創造へと跳躍していくありさまを、山城の眼は見事に捉えていく。すなわち、いったん描かれた川口のドローイング群をコマ撮りして繋げることで、連続した一続きの躍動的なアニメーションが生み出されるのである。この「動画内動画」のシークエンスは、ドローイング、写真、映画という、「描写」の技術に関する世紀を超えた三つのミディアムの発展段階を含みながら、互いを注釈しあう。それは、各ミディアムを串刺しにして甦るミメーシスの光輝が、アブダクティヴに、つまりは巧まざる仕方で発現した短くも充実した時間であった (*7) 。
 注意しておきたいのは、山城の映像の中では、必ずしも大野の形姿が鮮明に録されているわけではなく、川口の台詞などで説明されもしないことである。川口が素描で追跡する対象として、ごく限られた時間にヴィデオ・モニターの中のややぼやけた静止画像として登場するに過ぎない。川口が大野を必死にコピーするさまざまな姿勢やプロセス自体の方が、「類似」の証明よりもはるかに重視されていることが分かる (*8) 。模倣への努力が類似という状態を形成するのではなく、模倣という回路が創造への一契機でありうることを、山城の映像は証立てているのだ。
 大野の舞踏が影のプレゼンスのような慎ましさで、映像内のモニターの中に痕跡化しているのとほぼ呼応して、本作が沖縄で撮影されているという事実もまた、「創造の発端」を確かに縁取るものでありながら、直接的に場所の特性を記すことはほとんどなく、後景に退いているかに見える。冒頭のアパートメントのような室内で、目覚め、湯を沸かし、顔を洗い、長髪を後ろで束ね、トースターで食パンを焼いてジャムとバターを塗り、シャワーを浴び、足を拭く、いずれの日常的な所作もまた、紛れもなく川口のパフォーマンスであり表現なのであって、作品と不可分の一部である。山城がそれを一続きの運動たらしめるとき、川口の身体表面、脚の皮膚に印された擦過傷のごとき微視的な触感もろとも、静かに包摂している周囲の存在に観者を導いていく。それと語られることのなく、投げ出されてある一個の身体を時に抱きすくめ、時に撥ねつける総体が、沖縄ということではなかったか。
 身体を受け入れる容器にして乗物としての土地の包容力は、作品のクライマックスのシーンの舞台となる鍾乳洞において、沖縄的な特性を強く帯びていく。鍾乳洞は、先行する山城の映像作品《肉屋の女》(2012年)においても重要なシーンを形成しており、《肉屋の女》の場合について鈴木勝雄が正しく指摘するように、それは、「冥界への通路」「母胎」「沖縄戦の記憶を想起させる「ガマ」(自然壕)」という「ヘテロクロニー」的な、つまり「異他なる」時間性を併せ持つ (*9) 。言い換えれば、《創造の発端》において洞内の、遠い過去には珊瑚であった石灰の成分からなる泥濘の溜まりに横たわり、戯れなずむ川口の身体のうごめきには、確かに未生と瀕死、あるいは死後の喩的様態が幾重にも重なりあっている。洞とは、かつて/やがて/すでに到来し準備され、ひとの乗り込む揺籃にも棺にも擬えられるだろう。鍾乳洞という空間に固有の、水と土の元素的な交合は想像力の跳躍台の素材であると同時に、映像により即して言えば、湿潤から乾燥までの多様な状態を呈する、あくまでも現実の触覚を喚起して止まない物質である。「水+土」は、一瞬一瞬のうごめきを生きつつある、川口の顔と身体表面に貼り付き浸透し、当の身体と一体化する。
 山城の作品《創造の発端》は、瞬時性の持続という、形象のうちに顕わになるひとの生誕と死の両義的な時の厚みを、どこまでも物質的に描出した。他方、ここで幾度となく立ち戻っておくべきなのは、30万年という、「類としての人の歴史」の尺度を超脱した時間を持つ鍾乳洞=玉泉洞という場のスペシフィシティである。つまり1945年6月、沖縄戦の末期に住民を巻き込んで日本軍が敗走し持久戦をたたかうために隠れた、沖縄本島南部に多く点在する「ガマ」の近傍にあるという地理であり、実質的に他のすべてのガマと同様の喩的な範例を担うことである。沖縄戦において「ガマ」は、日本軍にとっての司令部、兵舎、野戦病院、米軍にとっての敵兵のゲリラ戦の拠点、沖縄の住民大衆にとっての防空壕、臨時の住居、米軍ばかりか日本軍からの排除と殺戮の脅威を受け、強制死を迫られる・・・そうした幾多の複合的な役割を負い、癒しがたい外傷的記憶との連続性を持つ場所だ。ガマの歴史と地理の布置に想到すれば、この映像作品に現前する川口の形姿を仮の像主として、ミメーシス的な衝動において結像しているのは、大野一雄の「面影」だけではなくなる。少なくとも川口隆夫の、そして山城知佳子のミメーシス的な表現に射影される一人の「他者」には、具体的な日付と場所を生き、あるいは死んだ一人また一人、その途方に連なる多数の個人が算入されていると見るべきなのである (*10) 。

*1 テオドール・W・アドルノ『模範像なしに 美学小論集』竹峰義和訳、みすず書房、2017年、136頁。
*2 生物の擬態について、カイヨワはたびたびその生存のための合目的性を否定することで、芸術の起源を示唆するが、本稿ではかかる合目的性をある程度是認している。以下を参照。ロジェ・カイヨワ『神話と人間』久米博訳、せりか書房、1994年。同『遊びと人間』多田道太郎・塚崎幹夫訳、講談社学術文庫、1990年。同『メドゥーサと仲間たち』中原好文訳、思索社、1975年。
*3 こうした体験が《あなたの声は私の喉を通った》に結実する方法を引き出した経緯については、以下を参照。山城知佳子・岡村恵子【聞き手】「山城知佳子 自作を語る」、浅沼敬子編『循環する世界 山城知佳子の芸術』ユミコチバアソシエイツ、2016年、55-60頁。山城知佳子「バーチャル継承」、同書、66-70頁。
なお、《あなたの声は私の喉を通った》と後で触れる《黙認浜—浦添市イバノの海—Complex.1》の基本データについても同書を参照。
*4 山城が繰り返し描いてきた「黙認」の場所については、以下に詳しい。鈴木勝雄「葛藤する空間 「黙認の場」からの問い」、同書、153-164頁。
*5 本作について山城は「継承というより、創造といえるような過程を旅するように撮りました」と述べている。この文章および本作の基本データは以下を参照。
https://www.yidff.jp/2017/cat041/17c050.html
*6 大野一雄『大野一雄舞踏譜【増補版】 御殿、空を飛ぶ。』思潮社、1998年、98-128、145-173頁参照。
*7 高速撮影された大量の写真から動画を生み出しつつ、そこに現代芸術におけるミメーシスの可能性を見出そうとする作品に、石川卓磨《教えと伝わり》(2016年)がある。山城=川口による描画からアニメーションへの創造的飛躍とは対照的に、石川作品のシークエンシャルな連続性では、コマ落とし的なぎこちなさや遅滞が意図して強調されており、映画史の起源に位置する写真の物理的存在がアナクロニステックに浮上する。同時にダンス・レッスンという好例において、模倣という出来事それ自体が主題化するのである。
*8 このことと関連して、岡田有美子は「模倣すればするほど、その差異は際立ち、他者は他者として裂け目を現前させる」と述べる。岡田有美子「模倣と創造の発端—山城知佳子の映像について」、『SPUTNIK YIDFF Reader 2017』山形国際ドキュメンタリー映画祭、2017年、22頁。
*9 本作に先立つ映像作品《肉屋の女》(2012年)に描出された鍾乳洞についてのものだが、本作にも該当しうる。鈴木勝雄「葛藤する空間」、前掲書、160頁参照。
*10 私自身は観ていないのだが、以下の事績を考慮しておきたい。川口は震災直後の2011年4月、滞在制作によるパフォーマンス作品《a perfect life》(連作の5作目)を那覇とコザで上演する。これを機に川口は山城と出会い親交を深めるだろう。川口はこの時期を自身のキャリアの中でも「特に感慨深い」「一言で言うとすれば、大変だった」と振り返る。ここでいう「大変」さは、「その土地の特性を作品の構成に取り込む」というこの連作の約束事を全うすることの困難でもあったと考えられる。逡巡に満ちているがゆえに多くの示唆に富む、この時の川口の沖縄体験については以下を参照。岡田有美子(cimarcus)・川口隆夫(パフォーマー)「往復書簡」『las barcas 1』2011年6月、67- 73頁。また《a perfect life》の重要な評として以下を参照。新城郁夫『沖縄に連なる 思想と運動が出会うところ』岩波書店、2018年、100-107頁。倉石 信乃 明治大学理工学研究科総合芸術系教授。近現代美術史・写真史・美術館学。1988-2007年、横浜美術館学芸員として「マン・レイ展」「ロバート・フランク展」「菅木志雄展」「中平卓馬展」「李禹煥展」などの展覧会を担当。著書に『反写真論』、『スナップショット-写真の輝き』、『失楽園 風景表現の近代1870-1945』(共著)など。

倉石 信乃 明治大学理工学研究科総合芸術系教授。近現代美術史・写真史・美術館学。1988-2007年、横浜美術館学芸員として「マン・レイ展」「ロバート・フランク展」「菅木志雄展」「中平卓馬展」「李禹煥展」などの展覧会を担当。著書に『反写真論』、『スナップショット-写真の輝き』、『失楽園 風景表現の近代1870-1945』(共著)など。

 

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「非感性的類似」と写真
文:清水穣

 最近ある学会誌からの依頼で、ヴァルター・ベンヤミンの「写真小史Kleine Geschichte der Photographie」の翻訳の査読を引き受けた。写真論の嚆矢とも言えるこの有名なエッセイを、2020年に敢えて翻訳するのであれば、ちくま学芸文庫ベンヤミン・コレクション(「写真小史」は、久保哲司訳)と晶文社版ベンヤミン著作集(同、田窪清秀・野村修訳)という、いわば日本の東西にそびえるベンヤミン研究の成果を踏まえないことはありえないだろう。新訳の新味は、もともと原作が雑誌という、字数制限のある媒体に3回に分けて発表されたという事情がベンヤミンの文体にも影響している(長い従属文を避けるために、動詞を名詞化した抽象名詞を多用するなど)として、それに配慮して翻訳文に工夫を加えたということだったので、査読者としては、かなり久しぶりに原文を一字一句たどり、先行訳と比較検討するという有意義な経験をした。先行訳の小さな誤りも2箇所ほど発見したが、何よりも、ベンヤミンの写真論がそのまま言語哲学へ、アレゴリー論へ、そして非感性的類似(unsinnliche Ähnlichkeit)の概念へと連続していることを、あらためて確認したことは大きかった。「写真小史」1つをきちんと理解しようとすると、ベンヤミンの他の作品を読み返さざるを得ず、その「他の作品」でもこれが繰り返される結果、何冊もの開かれたベンヤミン作品集が机上を占領し、私は付箋の叢で右往左往することになった。

 じつは「写真小史」には、意味が通らなくて昔から気になる箇所があった。それはベンヤミンが「あるがまま」を演じる写真を批判し、ブレヒトとともに構成的写真の必要性を強調する箇所、レンガー=パッチュ批判の箇所である。下線部が気になる箇所である。

写真に創造的なものを求めることは、写真を流行に委ねることである。「世界は美しい」―これがその標語にほかならない。この標語には、ある種の写真の持っている姿勢が露呈している。すなわち、どんな缶詰でも宇宙の中にモンタージュすることが出来るが、缶詰が登場してくる人間的な脈絡を把握することは出来ない写真、したがってもっとも夢想的な主題を扱うときでも、それを認識するさきがけとなるよりも、それを商品化するさきがけとなる写真の姿勢である (*1) 。

下線部は田窪・野村訳では「[…] 夢想的な限りの題材を扱っても、その題材の認識のさきがけであるよりは市場性の提灯持ちであるような、そのような写真の姿勢である (*2) 」となる。
 だが、夢想的な主題を撮った写真が、その主題の認識には役立たず、その主題を売るほうの役に立つのはあたりまえではないか。そもそも夢想的な主題を選ぶ段階で、認識を目指しているというより、市場性の提灯を持とうとしているだろう。原文は「[…] und die damit noch in ihren traumverlorensten Sujets mehr ein Vorläufer von deren Verkäuflichkeit als von deren Erkenntnis ist. (*3) 」 下線部、nochと最上級の組み合わせから「どれほどtraumverlorenな主題であっても」という意味になり、要はこのtraumverlorenという語を「夢想的」と訳してよいのかという疑問である。辞書ではtraumは夢、verlorenはverlieren(失う)の過去分詞で、合わせて「夢にわれを失った」「夢に溺れた」「夢想的」という意味である。これを、そのまま「夢を失った」「夢のない」と訳せれば、辞書的には無理でも、意味は通ると私は思ってきた (*4) 。「〜〜どれほど夢のない主題を扱うときでも、それを認識するさきがけとなるよりも、それを商品化するさきがけとなる写真の姿勢である」― 例えば福島原発の写真が、その現実の認識ではなく、むしろフクシマの商品化につながる、と。
 私のこの無理訳に根拠がないわけではない。ベンヤミンの3年後の講演「生産者としての<作者>」にほぼ同じ内容が現れるからである。

皆さんにはここで、さらに、写真が辿った道を追っていただきます。何が見えるでしょうか?写真はますますニュアンスに富んだものになり、ますますモダンになっていますが、その結果、写真はもはや賃貸住宅を、またごみの山を、それを美化することなしには写すことができなくなっています。ましてや、写真はダムやケーブル工場について<世界は美しい>以外の何かを言うことは出来ないのです。「世界は美しい」―これはレンガー=パッチュの有名な写真集の表題ですが、この写真集にわれわれは新即物主義の写真をその頂点において見るわけです。すなわち新即物主義の写真は、惨めな状態までをも、それを完璧に流行にかなった流儀で把握することによって、享受の対象とすることに成功したのです (*5) 。

下線部原文は「Es ist ihr nämlich gelungen, auch noch das Elend, indem sie es auf modisch-perfektionierte Weise auffaßte, zum Gegenstand des Genusses zu machen. (*6) 」
以前の「noch in ihren traumverlorensten Sujets(どれほど夢想的な/夢のない主題においてさえ)」は、ここでは「auch noch das Elend(悲惨でさえも)」と言い換えられて、私の無理訳の意味が明快に表現されている。
 さて、ベンヤミンが何を批判しているのかを見誤ってはならない。彼は「広告写真が現実を美化している」と言っているのではない。周知のように「世界は美しい」は写真集の出版者クルト・ヴォルフがキャッチーなタイトルとして付けたものであって、レンガー=パッチュの原案では「ものDinge」であった。新即物主義の名の通り、「もの」のあるがままの姿をカメラアイによって開示した写真である、と。身の回りの世界を丁寧に見つめて撮影してごらん、あるがままの世界は美しくも醜くもない、ただ何という豊かさに満ちていることか ― これがファシズムの広告というものである。そのときベンヤミンは、「あるがままの世界」こそ、新即物主義による「創造」だと批判するのだ。「レンズの役目は<概観Zusammenschau>することにあるとされ」、写真家はそのとき世界の中立的傍観者であることしか出来ない、と。
 これに対抗して、ベンヤミンが提案する方法が、写真を「すべてのLebensverhältnisseのLiterarisierung」に組み入れることであった。各訳者ともここをどう翻訳するかに苦労しているが ―「生活状況全般の文書化」(久保)「生活状況全般を書きとめるということ」(三宅)「あらゆる生活諸関係の文学化」(田窪・野村)― これらの訳語で意味がわかる人は、訳者を含めて、いないだろう。文書化…役所?書きとめる…日記?文学化…私小説?Literarisierungとは要するに、言葉にすること、文字にすることである。生(Leben)のあらゆる諸関係(Verhältnisse)を言葉にする、我々の生を規定している諸関係に言葉を与える、写真はそうした行為の本質的な一部とならねばならない、写真を言語表現に組み入れよ、と。これは表題(キャプション)をつけ、説明文の力によって映像の中立性を崩せということではないし、ましてや組写真やフォト・ルポルタージュのことでもない。そもそも言葉によって写真に任意の意味を充填出来るのならば、同じ戦略は映像の中立性のためにも使えるだろう。写真は意味が出入りする空の袋ではないのだ。そうではなく、写真はそのまま、ドイツ語やフランス語がそうであるような言語であり文字だと言うのである。ただしそれは、ネイティヴスピーカーのいない外国語であり、象形文字なのだ。写真が現実を「写す」とは、そういう外国語へ「翻訳する」ことなのである。

 写真が1つの外国語であるならば、アウラは、そしてアウラの凋落は、何に相当するだろうか? さらに、言語はベンヤミンにとってつねに「非感性的類似」の基準であり保存庫であった。それなら、写真と「非感性的類似」はどのような関係にあるのだろうか。
 まず「アウラ」から。誰でも一度は読んだことがあるだろう、ベンヤミンの有名な定義では、それは「ある遠さの一回限りの現れeinmalige Erscheinung einer Ferne」である。そこまで有名ではない箇所で、最初期の写真が帯びているアウラについて、ベンヤミンは次のように語る:

その写真を眺めるものはその画像の中に、偶然の一閃を、「いま・ここ」を、探さずにはいられない。その「いま・ここ」の偶然によって、現実はいわば光線となって画像を貫通し(durchsengen)、その性格を決定している […] (*7)

「いま・ここ」の偶然の閃きとともに、現実はまるで放射線のように被写体を貫いた。いわば現実により被爆した被写体は、いま独特の質を帯びた像、アウラを帯びた像として現れている。しかし、大量複製の時代を迎えてアウラは凋落する。像はアウラを失い、複写された模像となるのだ。

像(Bild)においては一回性と持続性が密接に結びついているとすれば、模像(Abbild、写し)においては一時性と反復可能性がおなじく密接に結びついている。対象をその被いから取り出すこと、アウラを崩壊させることは、ある種の知覚の特徴である。この知覚は、この世に存在する同種性(Gleichartige)に対する感覚をきわめて発達させているので、複製という手段によって、一回的なものからも同種性を見て取るのである (*8) 。

この目立たない箇所はとても興味深い。大量複製時代の知覚とは、同種性 ―類似― を嗅ぎつける感覚である、と。それはつまり、かけがえのない1回限りのAにたいして、類似した分身を感知し、Aの同一性・自同性を分身たちの中へ解消することなのである。1つの被写体は何百枚もの写真で置き換えられ、そのアウラは雲散霧消する。写真とは、被写体に似たものである。類似こそ、アウラを崩壊させる動因なのだ。
 ただし、ベンヤミンにとってその類似はあくまでも非感性的な類似である、と。「非感性的」とは、色や形のように感性に訴えかける類似ではないという意味である。この意味で、写真は言語であり、外国語なのである。言語が非感性的類似の基準であり保存庫であるとはどういうことか、有名な箇所を引こう。

同一のものを意味する異なった言語の語を、その意味されたものを中心にしてその周りに並べて見るなら、それらの語はすべて、―それぞれのあいだに、多くの場合ほんの僅かな類似さえ認められないとしても― その中心にある意味される対象には類似している[…] (*9)

「Brot」「pain」「bread」「パン」は、お互いに全く似ていないが、そのレフェラン(指向対象)は同じであり、その語とレフェランのあいだには非感性的類似の関係がある、と(「Brot」は(主格)、「パン」を(対格)意味すると言っているのではない)。言い換えれば、ある言語はそのレフェランに似ているのであって、決して一致することはない。レフェランと100%一致する言語(=純粋言語)に比べれば、あらゆる言語は、断片であり破片であることしか出来ないのである。

つまり一つの器のかけらを組み合わせるためには、それらのかけらは最も微細な部分にいたるまで互いに合致しなければならないが、だからといって同じ形である必要はないように、翻訳は、原作の意味に自らを似せるのではなくて、むしろ愛をもって細部にいたるまで、原作のもっている志向する仕方を己の言語の中に形成しなければならない。そうすることによって原作と翻訳は、ちょうどあのかけらが一つの器の破片と認められるように、一つのより大いなる言語の破片として認識され得るようになるのである (*10) 。

語にとってのレフェランは、翻訳にとっての「原作の意味」である。しかし原作もまた、人間の言語で書かれている以上は、その「意味」に対して破片に過ぎない。だから、ある言語Aを別の言語Bに翻訳するときには、破片としてのAの輪郭線に破片としてのBのそれが一対一対応すればよいのであって、両者が同じ形である必要はない、と。ドーナツと取っ手のついたカップは、同じ形ではない(感性的には似ていない)が、トポロジー的には(非感性的には)互いに対応している。完品の器=純粋言語による作品は、現実には存在しえないが、すべての(allではなくてevery)かけらに散り散りに内在し、それ以外の場所には存在しない。
 言葉とその意味の関係は、包含関係(AはBを意味する)ではなく、非感性的類似である、と。そこにはある種の密着と圧縮(Verdichtung)が現れる。

そして彩色された銅版画のなかで子供の空想が、夢見るように自らのうちに沈潜していくとすれば、木版画の散文的で醒めた白黒の挿絵は、子供を自らの外に連れ出す。こうした挿絵には「これなあに?」という問いが必ずついているものなので、絵は子供の中に言葉を呼び起こす。が、「これは~~」と答える代わりに、子供はそれに実際に字を書きつけてしまう。絵に落書きするのである。ものを再現する彩色された面とは異なり、こうした白黒の面は言わばものを暗示するだけなので、ある種の圧縮(Verdichtung)が可能なのだ。だから子供は挿絵の中へ密着して言葉を生み出す(dichten)わけである。子供はこうした絵において言語と同時に文字を学ぶことになる。象形文字である (*11) 。

 「この絵は、何を、描いたもの?」という絵本の問いに答える代わりに、子供は主格(~~は)と対格(~~を)を密着させて、絵の上にじかに文字を書き付ける。記号と意味が1つに圧縮された文字としての象形文字は文字の初源的な状態である。やがて圧縮は解け、主格と対格が2系列に分離して「~~は~~を意味する」という恒久的な対応関係に入れば、言語の体系が成立する。しかしベンヤミンが注目するのは、それ以前の始原的状態ないしは、その記号が硬直化してほぼ無意味と化した末期状態(アレゴリー)である。記号がその意味を他所ならぬ記号自身の上に帯びる状態、言いかえれば、記号自身がその意味に似る状態を、ベンヤミンは非感性的類似と呼ぶ。文字は、非感性的類似の場である。「こうして文字は、言語と並んで、非感性的な類似、非感性的な交感の記録保存庫となったのである (*12) 。」
 とうに言語を覚え表現を覚えた大人は、主客が分離した「~~は~~を」の世界でつねに生きている。しかし、ある瞬間に「圧縮」が生じて、始原的な未分離状態、すなわち非感性的類似が到来する。それは瞬間的にひらめいては消え去る、揮発性の類似である。

言語のもつ模倣的なもの全ては、むしろ焔に似て、ある種の担い手がある場合に限って出現する。[…]そこにおいて初めて、電光石火のごとく類似が出現する。人間による類似の創造は、多くの場合、とくに重大な場合には、突然のひらめきに結びついているからだ。この類似はたちまち消え去ってしまうものである (*13) 。

写真とレフェランの密着(コンタクト)は、一時的(Flüchtigikeit > Flucht=逃げること)な、「逃げ去るイメージ」(ブレッソン)である、と。こうして写真小史からベンヤミンの言語哲学や非感性的類似の議論へと出て行った者は、相変わらず写真論の中にいることに気がつくのである。

*1 W・ベンヤミン「写真小史」、久保哲司訳 ちくま学芸文庫『ベンヤミン・コレクション1』577-578頁。
*2 W・ベンヤミン「写真小史」、田窪清秀・野村修訳 晶文社『ベンヤミン著作集2』90頁。
*3 Walter Benjamin, Kleine Geschichte der Photographie (1931). in: Gesammelte Schriften (GS) Band II-1, hrsg. Rolf Tiedemann und Hermann Schweppenhäuser (Frankfurt a.M.: Surhrkamp, 1977), p.383
*4 ベンヤミンが一般辞書にない単語を使うことは珍しくない。例えばdurchsengen(グリムの大辞典には載っているがそこでは非分離動詞、ベンヤミンは分離動詞として用いている)。
*5 W・ベンヤミン「生産者としての<作者>」岡本和子訳 ちくま学芸文庫『ベンヤミン・コレクション5』403頁。
*6 Der Autor als Produzent, 1934. GS. Band II-2, p.693
*7 W・ベンヤミン「写真小史」、久保哲司訳 ちくま学芸文庫『ベンヤミン・コレクション1』558頁。ただしここでの文脈に合わせて順番や訳語を変えた箇所がある。
*8 同書570頁。
*9 W・ベンヤミン「模倣の能力について」内村博信訳 ちくま学芸文庫『ベンヤミン・コレクション2』79頁。
*10 W・ベンヤミン「翻訳者の使命」内村博信訳 ちくま学芸文庫『ベンヤミン・コレクション2』404頁。
*11 W・ベンヤミン「子供の本を覗く」西村龍一訳 ちくま学芸文庫『ベンヤミン・コレクション2』p.38。ただしここでの文脈に合わせて順番や訳語を変えた箇所がある。
*12 W・ベンヤミン「模倣の能力について」、同書p.80。
*13 W・ベンヤミン「模倣の能力について」、同書p.80。

清水穣 美術評論家、写真評論家、同志社大学教授。主な訳書・著書に『ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』(淡交社、増訂版2005年)、『シュトックハウゼン音楽論集』(改訂新版2002年、現代思潮新社)、『白と黑で―写真と…』(現代思潮新社、2004年)、『写真と日々』(同、2006年)、『日々是写真』(同、2009年)、『プルラモン 単数にして複数の存在』(同、2011年)、『デジタル写真論』(東京大学出版会、2020年)など。定期的に内外の展覧会図録や写真集、「美術手帖」「陶説」といった雑誌に寄稿している。