iiiiD 04.2020

magazine 2020-04

植木鉢のある風景(1)
文・写真:甲斐義明

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 ピンクの包装紙に包まれたカーネーションの鉢が店の軒下に置かれている。鉢はいつからここに置かれているのか。鉢はこの後どうなったのか。この文章が書かれている今現在も、どこかに保管されているのだろうか。いや、おそらくそれはどこにも存在していないだろう。母の日の贈り物ではないカーネーションの鉢を見かけることはほとんどない。花が枯れるとそれはひっそりと捨てられ、ごみとして回収され、焼却されるか埋められる。
 もしかすると、鉢はこの写真が撮影された時点ですでに捨てられていたのかもしれない。それにしては花の状態は良く、咲き終わりどころか、まだつぼみがたくさん残っているようにも見える。では、なぜ外に? 自分だけで見ておくのはもったいないから? 鉢に日光を当てて少しでも長持ちさせたいから? ほとんどの写真には、このようなささやかな「謎」が含まれている。それはどうでもよい「謎」である。にもかかわらず「謎」は写真に生気を吹き込み、この写真それ自体が(その他大勢の写真と比較して)有意味なものであるかのように見せる。
 古びたものと新しいものが、写真の中では混在している。こちらを見つめている若い女性が写っているポスターは、この写真が描写しているもののうち、もっとも新しく見えるもののひとつである。だが30年後にこの写真を見たとき、いちばん古臭く感じられるのはポスターだろう。ポスターのデザインからモデルの女性の髪型に至るまで、時代の刻印を帯びたものに見えるだろう。それに対してカーネーションの鉢は古びないだろう。

 だが、もし母の日にカーネーションを贈る習慣がそのときまでに廃れていたとすれば? もしそのことをもはや人々が覚えていなかったとすれば、この写真はさらに謎めいたものに見えてくるだろう。かろうじて記憶されていたならば、この写真は過去の日本人の習慣を捉えた、ささやか視覚資料になるかもしれない。
 この写真が撮影されたのは2018年6月10日である。

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 網入りすりガラスの窓の向こうから、首をかしげた上半身裸の男がこちらを見ている。すりガラスゆえに、彼の表情ははっきりと読み取れないが、笑っているようにも見える。彼はおそらく白人である。
 このような書き方はわざとらしい。それは「上半身裸の男」ではなく、「上半身裸の男の写真」(が印刷された紙袋)であることは、文章の書き手にも読み手にも明白だからである。しかし、そもそも私たちが今見ているのが写真(一次的写真)だとすれば、それを語ることと、写真の中の写真(二次的写真)を語ることとのあいだに、それほど大きな違いがあるだろうか。写真を現実のように見てしまうことがあるとすれば、写真の中の写真もそのように見えたとしても、さほどおかしなことではあるまい。「写真の中の写真」という主題に多くの写真家が魅了され、繰り返し撮影されてきたのは、それが現実と表象の境界を、絵画にはできない形で混乱させるからである。
 「ホリスター」の紙袋は、これから急速に古びてゆくだろう。それはまもなく「懐かしのアイテム」になるだろう。だが、この写真のポイントはそれ以上に、この紙袋がこの場所にこのように置かれていることにある。モデルの男はこちらを向いている。彼はこちらを向かされているのだろうか。隣りに置かれた鳥のぬいぐるみ(何というキャラクターだろう?)の視線も窓の外に向けられていることは、この部屋の借り主(若い女性以外の人間を想像するのは困難である)の意図を感じさせる。それは通行人へと向けられた、部屋の装飾の一部だろうか。男の向かって左側に見える、蜘蛛の足のようなものは何だろうか? これも通行人の視線を意識して置かれているのだろうか。
 それらの細部はやはり自らを「謎」として呈示する。しかしこの写真で問題となるのは「謎」よりも「意図」である。出窓の下には君子蘭(くんしらん)とコニファーの鉢が並べて置かれている。出窓の中に垣間見える世界と、君子蘭という言葉の響きが醸し出す世界は、これ以上ないほど離れている。万年青(おもと)や東洋蘭のような他の古典的園芸植物と同様に、君子蘭はある特定の文脈で鑑賞されることを要求し、周りの空間を支配する。しかしここでは出窓と室外機に囲まれて、君子蘭はほとんど孤立無縁である(よく考えてみれば君子蘭とコニファーの組み合わせも少し奇妙である)。
 意図に関して言えば、この写真それ自体の意図も無視することはできない。この写真の撮影者はこれらの諸要素の組み合わせの奇妙さと、それが生じる際に存在したはずの意図に興味を引かれて、バッグからカメラを取り出し、シャッターを切った。つまりこの写真は、ある意図を別の意図によって取り囲んだものである。意図のわざとらしさは、写真を演劇的なものに変える。美術批評家のマイケル・フリードによれば、演劇性(シアトリカリティ)への嫌悪感は、優れた芸術作品が作られる際の原動力のひとつである。撮影者には「ホリスター」の紙袋と君子蘭の鉢植えが、それぞれあのような場所に置かれていることに、わざとらしいという感じ(=狙っているという感じ)はなかった。だからこそ、彼はシャッターを切ったのである。しかし、そのような理由で撮影された写真それ自体がわざとらしいかどうかについては、この文章は何も語ることはできない。それを判断するのは、撮影者以外の誰かだからである。

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 一体何の店なのだろうか。「クリーニング」、「デジタルプリント」、「OZAWA」と様々な文字が並んでいる。「クリーニング」の「グ」の下には「こちらからどうぞ」と右向きの矢印が描いてある。矢印の指す先が「OZAWA」なのか、それとも別の店なのか、写真の画面があまりにも雑然としているため、一見した限りでははっきりしない。画面左の赤い看板に「化粧品・ホワイト急便・写真・印刷・印鑑」と書かれているのに気づいてはじめて、これらの看板や張り紙がすべてひとつの店によるものであることが明らかになる。しかし、なぜ同じ店が化粧品とクリーニングと写真と印鑑を同時に扱うようになったのだろうか。
 たくさんの鉢が雑然と並べられていることと、この店が互いに関係なさそうな雑多な商品を扱っていることのあいだには、きっと関係があるにちがいない、この写真はそう思わせる。だとすると、このほとんど放棄された状態にも見える植木鉢の数々にも何か意味があるのかもしれない。それはもしかすると、ある種の美意識の産物かもしれない。だが全体として、写真に写し出された光景を特徴づけているのは、特定の人間の意図を超えてしまった何かである。
 廃墟ではない。確かにここでは人が今も生活し続けている。だがももはや管理されることから逃れた植木鉢の植物は、自分たちのペースで自由に生きているように見える。鉢の中の植物と周囲の地面の雑草の境界も曖昧である。
 そのことは、この路地裏の一場面にささやかな美しさを与えている。自分で撮った写真を美しいと感じるのは、自作自演だろうか。自画自賛だろうか。「それは美しいから、良い写真である」と言ったら文字通り自画自賛かもしれない。しかし、言わんとしているのはそういうことではない。この写真が美しい、と筆者が言うとき、(それがたとえその美しさが写真の中にのみ存在するものであったとしても)彼の意識は被写体およびその見え方に向かっているのであり、写真それ自体ではない。
 しかしそれでも、自分が撮った写真を「美しいでしょう?」と言って他人に見せることには、どこか押し付けがましさが伴っている。写真が写真として存在している時点で、そこには撮影者の意図が避けがたく忍び込んでいるからである。「人が撮った写真の美しさに感嘆すること」と「そうした光景を選びだした撮影者の感性を称賛すること」を完全に切り離すことは不可能である。写真作品をドヤ顔で見せられたときの嫌な感じは、おそらくそこに由来している。

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 「路上園芸学会」を個人で主催している村田あや子氏がウェブサイト「デイリーポータルZ」の動画「知識のタイマン!ストへぇ「綱島」編(プTV)」で、東急東横線綱島駅周辺の路上に置かれた植木鉢について解説していた。「路上園芸学会」の存在については以前から知っていたが、動画を見て驚いたのは、その中で村田氏が注目を促していた、メガネ屋の前に置かれたオリヅルランの植木鉢に確かに見覚えがあったからである。
 「路上園芸学会」という名称は、美術家の赤瀬川原平が建築史家の藤森照信やイラストレーターの南伸坊らとともに1986年に立ち上げた路上観察学会へのオマージュだろう。路上観察学会は赤瀬川がその4年ほど前に『写真時代』の連載で読者を巻き込みながら開始したトマソン観測の発展形である。トマソンとは、意図せず生じてしまった路上の「無用の長物」のことを指す(赤瀬川原平「我いかにして路上観察者となりしか」、赤瀬川・藤森照信・南伸坊編『路上観察学入門』ちくま文庫、1993年、13頁)。
 人が路上に何か風変わりなものを見つけ、それを写真で撮ったり、それについてあれこれ述べたりするとき、意識的かどうかにかかわらず、その人は赤瀬川が日本の大衆文化の中に開拓した土壌の上に立っている。その土壌に足を絡め取られていると言ってもよいかもしれない。そのくらい路上観察のコンセプトは魅力的であった。赤瀬川が皮肉を込めて語っていたように、NHKで紹介されたり、町おこしの一貫として市役所から招待されたりと、路上観察は体制側にも歓迎される、社会的に安全な実践として受容された(赤瀬川原平、松田哲夫(聞き手)『全面自供!』晶文社、2001年、341-346頁)。
 しかしこのことは路上観察に宿る、さらには赤瀬川の芸術家としての活動全体を規定していた、ある種の屈折や「毒」のようなものを覆い隠してしまった。そもそもトマソンには現代美術とその作者に対する当て付けとして解釈できる面があった。誰にでもできそうな仕方で木や石や鉄を並べただけに見えるものが「作品」として美術館に並べられる。それが子どものいたずらであれば笑って済まされたかもしれない。しかしその「作品」の作者は難解な哲学的言葉を並べて、あたかも大芸術家であるかのようにふるまっている。そんな本物かインチキか分からないものを見ている暇があったら、路上の様々な物体を観察して楽しんだほうがいいじゃないか――それが路上観察学の基本姿勢であるように思える。赤瀬川の路上観察は芸術の方を向いていない。しかし、それは常に芸術を背中で意識していた。赤瀬川によれば、トマソンはマルセル・デュシャンのレディメイドの先を行く「超芸術」である。だが彼が本当に対抗心を感じてたのは、フランスの芸術家ではなく、同時代の日本の現代美術だったのではないだろうか。
 赤瀬川らの活動に起源を持ちながらも、もはや必ずしも彼の名を言及する必要が感じられないほど一般化した実践である現在の路上観察において、現代美術は意識の対象外にあるように見える。日本の路上の植木鉢について語るのに、西洋のコンセプチュアル・アートの歴史について知っている必要はない(のだろうか?)。
 オリヅルランのシュートは地面に着くか着かないかという高さにあり、その絶妙な位置は、鉢植えを単独で鑑賞するに足るオブジェへと変えている。

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 シャッターを押しただけでできあがる写真は、何日もかけて仕上げられた絵画がその作者とのあいだに持つような濃密な関係を、撮影者とのあいだに持つことは難しい。そのことが、自分が撮った写真から距離を取り、それについてある程度客観的に語ることを可能してくれる。
 だがそれにも限界がある。写真の作者はそれが撮影された場面を自分の目で見ており、少なくともその一点において、それ以外の人間からは決定的に区別される。当の写真について、なるべく冷静かつ客観的に語ろうとしても、撮影時の記憶がその試みを妨げる。
 写真とそれについて語った文章を併置し、両者に等しい重みを与えて何かを伝えようとする、というのは決してめずらしい表現形式ではない。ざっと思いつくだけでも、デュエイン・マイケルズ(「A Letter from My Father」など)、アラン・セクーラ(「Meditations on a Triptych」)、大辻清司(「大辻清司写真実験室」)、荒木経惟(『東京は、秋』荒木陽子との共著)、志賀理江子(『カナリア門』)、テジュ・コール(『Blind Spot』)といった人たちが、この形式を効果的に用いている。
 本連載でその形式を採用することにしたのは、そうすることによってのみ、路上観察の本質が理解できるように思われたからである。より具体的に言えば、路上観察に再び批評性を――赤瀬川の芸術家としての活動を活気づけていた毒やアンチの精神を――もたらすことができるのか、というのが筆者の関心である。この問いに何らかの答えを与えるためには、トマソンや路上観察といった概念と対決しなければならない(赤瀬川がそれらの概念によって、制度化した現代美術と対決したように)。そのためには文章だけでも、写真だけでも不十分である(路上観察は写真だけでも、文章だけでも成立しなかったように)。
 ――このような文章と併置されることで、写真はどのような意味を持ち得るだろうか。衣料品店の比較的新しいように見える白い建物の庇の下には、三本の木が見え、その後ろには空間が広がっている。「広がっている」とは言えないかもしれない。木によって覆い隠された空間は視覚的広がりを欠き、ただそこに「ある」ことが示されているだけだからである。衣料品店の背後の空間はもはや「路上」とは言えない。この写真において「路上」は成立するかしないかの瀬戸際に立たされている。アメリカ合衆国の荒野をどこまでも伸びてゆくハイウェイも、新潟の田んぼを抜けてゆく一車線の農道も、そこに立っていれば「路上」かもしれない。だがそれは明らかに路上観察学の「路上」ではない。几帳面に並べられた植木鉢は路上観察の素材を提供する。しかし「路上」の存在がもはや当然視できなくなったとき、路上観察の意義も曖昧なものとなる。

甲斐 義明 専門は写真史および近現代美術史。ニューヨーク市立大学大学院センター博士課程修了。現在、新潟大学人文学部准教授。著書に『時の宙づり――生・写真・死』(IZU PHOTO MUSEUM、2010年。ジェフリー・バッチェン、小原真史との共著)、編訳書に『写真の理論』(月曜社、2017年。ジョン・シャーカフスキーほか)がある。