風景写真の現在:『風景写真』編集長・永原耕治氏に聞く

paper 2023-02

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聞き手:甲斐義明

1.写真芸術のグレーゾーン

甲斐  オンライン講演会「風景写真の現在」にご参加いただき、どうもありがとうございます。[1]  本日は、隔月刊『風景写真』の編集長・永原耕治さんにお話を伺います。そもそもこの講演会の趣旨といいますか、どうしてこのような会を開こうと思ったのか、ということなんですけども、私の今の研究テーマの一つに「1990年以降の日本のアマチュア写真」というものがありまして、その中でも特に、風景写真というジャンルについて考えているところです。永原さんに初めてお会いしたのは今から10年以上前、まだIZU PHOTO MUSEUMで働かれる前のことだったと思います。その後、風景写真出版に入社されたと伺って、しばらくお会いする機会がなかったんですけど、今回お話を聞いてみよう、ということで久しぶりに連絡を取ったという次第です。

永原さんの経歴ですけれども、ご本人に送っていただいたものを読み上げたいと思います。「1978年東京生まれ。隔月刊『風景写真』編集長。早稲田大学大学院在学中に渡露し全ロシア映画大学留学。大学院中退後、都内ギャラリーに勤務したのち、写真美術館のIZU PHOTO MUSEUM(静岡)学芸員を経て、2014年に風景写真出版入社、2020年より編集長。」この都内ギャラリーというのは東京・青山にあった、ラットホール・ギャラリーですよね? 2020年に休廊してしまったギャラリーですけど。

永原  はい。

甲斐  ラットホール・ギャラリーに勤務されてその後、静岡のIZU PHOTO MUSEUMに移られた。これは何年でしたっけ?

永原  2009年だったと思います、確か。

甲斐  そうですか。私は以前、ジェフリー・バッチェンという写真史家をゲスト・キュレーターに招いてIZU PHOTO MUSEUMで2010年に開かれた展覧会(「時の宙づり――生と死のあわいで」)を手伝ったことがあるんですけど、そのとき永原さんもいらっしゃいました。

永原  そうですね。

甲斐  で、その後2014年に風景写真出版に入社され、2020年より編集長をされているということです。続いて永原さんが編集長をされている『風景写真』という雑誌についてですけど、事前に紹介文をいただきました。これはオフィシャルな説明ですか?

永原  それはホームページに載っているものですね。

甲斐  なるほど。今日参加されている中には、『風景写真』を手に取ったことがない方もいると思いますので、念のため、こちらも読み上げておきます。

「隔月刊・風景写真は1989年(平成元年)に季刊として創刊。それまでにない風景写真の専門誌として多くの愛好家から歓迎され、1993年に隔月刊として生まれ変わり現在に至ります。『風景写真』の創刊時のコンセプトは、美しい風景写真をより美しく誌面に掲載すること。そしてプロ・アマの別なく、優れた風景写真作家に作品発表の場を提供することでした。その思いは、現在の誌面にも受け継がれ、最高水準の風景写真作品を美しい印刷と大ページで紹介する口絵ページと、全国の風景写真愛好家が表現力を競うフォトコンテストが『風景写真』の大きな特徴であり、「隔月で読む写真集」とも言われる所以となっています。他にも最新の風景写真作法を解説する特集ページ、そして風景写真作家の表現の神髄に迫る各種連載記事など見応え、読み応え十分の写真雑誌です。」

なぜ永原さんにお話を伺おうかと思ったかについて、もう少し具体的なことを言うと、ちょっと専門的な話というか、写真史研究の話なんですけど、ヴァナキュラー写真論というものがありまして、それとのつながりなんですね。これまでの写真史研究、とりわけ英語圏の写真の歴史というのは、有名な写真家の傑作とされる写真を中心に語ってゆくという流れがあって、それに対して、ここ20年ほどの間に、そのような写真史では写真というメディアの実態を捉えられないのではないか、という疑問の声が上がるようなったんですね。

世の中に存在する写真の大部分はアート写真などの「作品」として作られている写真ではなくて、家族のアルバムとか、純粋に商業的な写真だとか、犯罪の記録写真といったものであって、そのような写真がいっぱいあるのに、有名写真家の作品だけを特別視するのはおかしいじゃないか、という指摘が、写真史研究や写真評論の中で沸き起こって、ひとつの運動のようなものになったわけです。「ヴァナキュラー」というのはそれ以前から建築の分野などで使われていた言葉で、「その土地土地によって異なるもの」とか「地方性をもったもの」といった意味なんですけど、芸術写真中心の写真史の語りから抜け落ちてきたものを、「ヴァナキュラー写真」と総称して、それをもっと研究しよう、という動きが20年ほど前に生じました。先ほど名前を挙げたジェフリー・バッチェンという人が、まさにその「ヴァナキュラー写真」研究を主導した人なんですね。この「ヴァナキュラー写真」という考え方は徐々に広まっていって、家族アルバムや記録写真など、非芸術的な写真についてきちんと考えよう、場合によっては、そのような写真を美術館で展示しよう、みたいな流れも起きて、その結果、家庭の記念写真やフリー・マーケットで売られているような写真にも注目が集まって、美術家がそういう写真――いわゆる「ファウンド・フォト」ですね――を作品の素材として使う事例も目立つようになりました。

このこと自体は近年の写真史の重要な展開であることは確かなんですが、そこには弊害もあったと思うんですね。芸術作品として作られているわけではない写真に注目するのは良いのだけれど、その結果、芸術写真と非芸術写真が以前にもまして二項対立的に扱われるようになったという感じがあって、それに対して、私は疑問を抱いたわけです。本当にそういうふうに白黒つけられるのか、芸術的な写真と非芸術的な写真の二つにはっきり分けられるのか、という疑問ですね。日本を例に言えば、東京都写真美術館や東京国立近代美術館といった、そういう権威ある場所に収蔵されているわけではないけれど、かといって、純粋な記録とか個人の記念でもないっていう、グレーゾーンの写真があると思うんです。カメラ雑誌のコンテストに応募される写真もそのひとつの例ですね。芸術として社会的には認められてはいないけど、ある種の表現欲の産物だったり、すごく高い技術に支えられて作られていたりするような写真です。ヴァナキュラー写真研究が台頭して、逆にその種の写真が行き場を失っている、あるいは、それをどのように論じていいのかわからない、という状況が今も続いていて、それは欧米の写真研究でも、日本の写真研究でもそうだと思うんですね。

私自身もそれをどう見ればよいのか迷っているという状態で、「こうあるべきだ」という考えはまだ持てていません。『風景写真』に登場する写真家の中には「巨匠」と呼ばれる人もいるわけですけど、同時に、先ほど読み上げた紹介文にもあるように、そこではアマチュアによる写真も大きく取り上げられているわけですよね。それらの写真が果たして作品としてどのくらい社会的に認知されているのか、という疑問が当然出てくる。それらの写真は、芸術写真として見ると、やはりグレーゾーンなわけです。ただそれは決して悪い意味ではなくて、むしろ興味深いにもかかわらずどういうふうに論じていいのか、誰もまだわかってないものとして、それらの写真は存在しているのではないか、と思っています。それが一つ目ですね。

すでに私の関心に沿った、かなり理屈っぽい話になっていますが、なぜ『風景写真』に関心を持っているのかについて、もうひとつの理由を述べると、それは、その芸術的価値に関することなんですね。「絵葉書のような風景」という表現がありますけど、ハイ・アートの世界では、あるいは、写真美術館で展示されるような写真の文脈では、「絵葉書のような風景」と言ったら、それは若干見下しているというか、あまり良くない意味なんですよね。つまり、コンテンポラリー・アートとしての芸術写真には、そういう美しさを疑うというか、見るからに綺麗なものをそのまま認めることはできない、という観点があると思うんです。そのような視点から、『風景写真』に掲載されている写真を見ると、「綺麗だな」と思うと同時に「これをそのまま認めてしまって良いんだろうか?」という、ちょっとした葛藤もあります。多分それは芸術写真の世界とか写真史研究とか、そういったものに馴染んでいると、条件反射的に、そのような色も鮮やかで、なんというか、癒されるような写真に対する警戒心が出てくるのかな、と。そして、自分としてもその感情をどう捉えればいいのかわからない、というのが現状です。

2.名付け親としての前田真三

甲斐 みなさんご存じのとおり、いまや日本の美術館では、東京都写真美術館のように写真に特化していなくても、写真作品を展示することがどんどん当たり前になってきていますが、そこで展示される写真の傾向にはやはり偏りがあって、前田真三と竹内敏信にしても、おそらく東京都写真美術館のコレクションには入っているとは思うんですけど、彼らの回顧展は開かれていないですよね。二人は『風景写真』ではとても重視されて、今年特集号も出ていますよね?

永原  そうですね、竹内敏信さんは2月に亡くなられたので、追悼号ということで、前田真三さんは5月に、生誕100年ということで、大特集号を組みました。

甲斐  そうなんですね。他方で、美術館では彼らの作品が頻繁に展示されているとは言えない状況がある。アートの一分野としての写真においては、彼らは主流とはいえない。むしろ主流と言えるのは、柴田敏雄とか畠山直哉とか、あるいは、最近、アーティゾン美術館で柴田と二人展を開いた、鈴木理策といった人たちですよね。彼らが風景写真家と言えるかは微妙ですけど、大きなくくりでは、彼らの作品、少なくともその一部は風景写真と呼んで問題ないかと思います。もちろんこれは、だから前田真三と竹内敏信はダメだ、という否定的な意味で言っているのでは決してなくて、むしろ見方によっては、美術館の世界に取り込まれないほうが良い可能性もあるわけですよね。だからそのあたりは、美術館で展示されているから良い、展示されていないからダメということではなく、それぞれの世界を相対的に捉えるべきだと思っています。

『風景写真』における前田真三の位置づけに関して、今年の特集号(2022年5-6月)に気になる言葉があって、それは、風景写真出版代表の石川薫さんによる次のような文章です。「確かに現在という視点に立って前田真三を眺めるなら、過ぎ去った歴史の彼方の人に映ることだろう。しかし、遥か後世より風景写真の歴史を俯瞰したならば、我々はまだ「前田真三とその後の時代」の中にいて、前田が拓いた風景写真の枠から踏み出せてはいないのだ」(10頁)。これを読むと、前田真三さんが雑誌にとって非常に大きい存在だというのを感じると同時に、外の世界にいる者からすると「え、そうなの?」という驚きもやはりあるわけです。つまり、それは『風景写真』という雑誌に馴染みのない人に、どのくらい共有されている価値観なのだろう、ということも同時に感じたんですね。

永原  なるほど。風景写真という言葉が一般名詞なので、ちょっと混乱が起きているかなという感じもあって、ここで石川が言っている風景写真の歴史というのは、括弧に入っているというか、チョンチョン(引用符)がついているというか、雑誌『風景写真』および、その周りのジャンルという意味で使っていると思います。一般名詞としての風景写真は多分もっと広くて、それこそ江戸末期とかからあると思うんですけど、そこまでの射程はないと思います。

甲斐  なるほど。本来は括弧付きの風景写真?

永原  そうですね。でもそれを括弧なしで使ってしまうくらいのシーンの中にいるってことですかね。

甲斐  その言葉の問題というのは、次に引用しようと思っていた箇所とも関連していて、次のような興味深い話が、同じ特集号に書かれていたんですね。(2代目編集長の)萩原史郎さんの発言です。

「萩原史郎(以下、萩原) 父[引用者注:萩原純一]が経営する会社で、あらたに出版事業を興す際、雑誌を作りたいという話になりました。(中略)雑誌は『ネイチャーフォト』というタイトルを父が考えていました。でも、出版業界には何のつてもなく、その中でなぜか父は、前田真三さんに相談しようと思うと言うんです。前田さんはその時点[引用者注:1988年]でもう巨人のレベルでした。

ところが、電話をしたら会ってくれるというので、父と一緒に東京・青山の事務所に伺いました。(中略)前田さんが「雑誌のタイトルは?」と聞くんです。それで父が「『ネイチャーフォト』です」と答えると、「それだったら協力できない。ただ、『風景写真』というタイトルはどうか?」と。父はその場で雑誌名を『風景写真』と即決していた記憶があります。」(75頁)

これはつまり前田さんが雑誌の名付け親ということですか?

永原  はい、そういうことになっています。

甲斐  それは雑誌の中で共有されている考えということですか?

永原  共有されていますね。あともう一つ「ランドスケープ」という言葉もあるじゃないですか。ランドスケープでもネイチャーフォトでもなく、風景写真なんだよっていう、ことですね。そこでこの言葉を持ってきたことで一つのジャンルをくくってしまったっていうのかな。この雑誌がこういう名前になったことで、風景写真ってジャンルってなんとなくあるよね、みたいな、しかも風景写真というのはこういうものを指すよね、みたいなのが、言葉で定義されていないけど、なんとなくできたかなっていう気がします。

甲斐  それは多分、前田真三にも関わることだと思うんです。彼のインタビューなどを読むと、自分が撮っているものは「風景」なのだ、という認識を持っていたことがわかります。つまり、雑誌の創刊時にアドバイスする以前から、この「風景写真」という言葉に彼はこだわりを持っていたのではないかと。特定の雑誌のタイトルということではなくて。

永原  そう思います。ランドスケープじゃないんだよねっていう思いはあったと思います。それと同時にネイチャーフォトじゃないんだよねっていう思いも多分あったと思います。自分がやっているものは、風景写真としか名づけられないよね、と思っていたんじゃないかなと思います。

甲斐  いきなり本質的な問いになってしまいますけど、前田さんにとって風景写真の特質って、結局、何だったんですかね。

永原  ランドスケープっていうとアンセル・アダムス的な何か、ネイチャーフォトっていうと、もう少し動物とか植物に寄ったような写真というイメージかなと思います。風景写真っていうと、俳句とか日本画的な何かを写真で表すみたいな、風景から感じたものを表すとか、そんなイメージに近いかなって気はしていますね。

甲斐  それは前田真三さん自身がそう言っていたということですか?(後日、前田の写真集『出合の瞬間』(毎日新聞社、1977年)に次のような言葉があるのを確認。「私はかつて日本画に没頭していた時代があり、かねがね風景写真の中に日本画風の感覚をもちこめないかという事を考えておりました」。)

永原  多分そう思っていたと思います。

甲斐  なるほど。それは多分、究極的にはナショナリズムにも繋がってくると思うんですけど、風景写真は日本ならではのもの、ということなんですかね。

永原  うん、そう思いますね。そういうふうに思っていたと思います。意図的に押し出した部分もあると思いますけど。前田真三さんは海外もよく行っていて、海外のシーンもそれなりに知っていて、そういうときに、横文字じゃなくて、漢字なんだと、というのは多分戦略的なとこも含めてあったかなって。無意識の部分もあったとは思いますけど。

甲斐  それはすごく面白い話だと思うんですね。というのも、前田真三の写真って、いかにも日本的というわけではないじゃないですか。特に彼が世の中に広めた、富良野や美瑛の風景というのはヨーロッパ的というか、外国的に見える。でもそれを、これも日本の風景なんだよ、って言ってしまう。そこにはやはり(志賀重昂の『日本風景論』が持っていたような)危うさもあるとは思うんですけど、それはともかくとして、日本的とは思われていなかった風景を日本の風景のひとつのヴァリエーションとして見せる、というところに新しさがあった、というように私は理解しているんですが。

永原  なるほど、そうかもしれないなと思いつつ、前田さんはそもそも写真家じゃなかったんですよね。脱サラして、写真を扱う会社を興したんです。写真の貸し借りでお金を儲けようと思って、喫茶店とかに額を貸したり写真を貸したりっていうそういう事業を始めたんです。それを「丹渓」と名前をつけて始めたんですけど、軌道に乗らず、結局、自分で写真を作って、その写真を自分で貸そうと。そういうところからスタートしているんですね。表現しようと思って始めたわけじゃなくて、純粋にビジネスとして始めて。丹渓は工房のようなところで、前田さんの息子さんも写真をやっていますし、孫にあたる方も写真をやっていて。個性を出そうとか、そういう感じでは撮っていないんですね。みんなで集団で撮っていて、あくまでもその事業として撮っているというのかな。その中で美瑛・富良野というのは、それまでほとんどの日本の人が見たこともないような風景が日本にある、みたいな、そういうストック・フォト的な商売として見ていたと思います。それと同時に、例えば奥三河とか、他にもあるんですけど、美瑛・富良野じゃない写真も撮っていて、そっちの方は比較的、いわゆる風景写真というものに近いかなと思います。そこは同じだと思っていたかどうか。違うんじゃないかな、という気はちょっとしています。

甲斐  なるほど、とても面白い話ですね。富良野・美瑛は彼の中でもちょっと別扱いという感じだったんですかね。写真が企業のカレンダーとかに使われるとか、ビジネスとして軌道に乗せることが最初はとても重要だった、ということを書いているのは私も読みました。[2]  と同時に、写真作家としても、次第にリスペクトされていくようになるわけですよね。そのあたりの、とりあえず売れる写真を作ることが大事だったというのと、自分の作品、特に自分の風景観を表明するための写真を作るということの関係は、複雑というか……

永原  複雑ですね。いろんなことを言う人がいます。息子の前田晃さんという写真家の方に聞くと「父は何も考えてなかったよ」とも言うし、「でもやっぱりはっきり分けていたよね」という人もいる。でもその間のグラデーションの写真もいっぱいありますし。大きく見ると分かれていたんだけど、そこまで考えてなかったのかな、というのが実際のところじゃないかなと思います。

3.竹内敏信と「人工物排斥論」

甲斐  ちょっとここで竹内敏信の話もしたいと思うんですけれども、竹内特集号(2022年7-8月)で、石川さんが書かれていることも、とても興味深かったので、引用します。

「日本の風景写真は長きに亘り、あるトラウマを抱えていて、いまだそれを完全には克服するに至っていない。そのトラウマとは、風景写真の画面に人物や人工物が入ることを穢れのように忌み嫌い、それが入った作品を“風景写真”と呼ぶことさえ拒む感情が、今も一部愛好家層の心中に拭いがたく残されていることだ。
ここでその話を持ち出したのは、竹内敏信という写真家の存在感や言葉が持つ力が“人工物排斥論”を掲げる人々の拠り所となったという見方も一部にあるからだ。」(40頁)

ここで言われている「人工物排斥論」は、例えば、竹内さんの次のような言葉を指しているのではないかと思います。1997年の『竹内敏信集』(ブティック社)から、少し長いですが、引用します。

「「風景写真三悪」というのがある。これは悪い作品や作者を言うのではなく、電線、ガードレール、コンクリートのことを、そう称しているのである。ことにこれが、桜や樹木、美しい自然景観の中に遠慮なくあるときが最悪で、どんなに素晴らしい被写体でも、たった一本の電線で、撮影を断念せざるをえないときも多い。また、注意して撮ったつもりでも、現像が上がってフィルムをルーペで確認したら、へんな所に電線や無粋なガードレールが写っていて、ボツにせざるをえなかった悔しい思いもたくさんある。

まぁ、これらのものが写ることで、生活感や風土感が出たり、時代性というような要素を作品のなかに盛り込んでいくというような、風景の視点もあるので、単純に悪とは言い切れないが、それにしても純風景を指向する者にとっては、邪魔なものであることは確かだ。

それらは生活必需品で仕方がないと言う人もあろうが、日本の場合はあまりにも無神経な事例が多すぎるのではなかろうか。(中略)ここらで、被害者である写真を撮る人達が中心になって、ことあるごとに、声を大にして、そのような無遠慮な土木工事の意識改革をさせねばならない。(中略)

昔、ルポルタージュをやっていたころ、住民が何気なく建てた小屋や、生活施設がじつにその土地の景観とマッチしていることを発見して驚いたことがある。読者の中には土木行政や電線敷設に関係されている方もあるかと思うが、ぜひ今後の仕事にいいアイディアを出してほしいと思う。写真を撮るために風景があるわけではないが、写真を撮ることによって、初めて風景の中にある自然と人間による構造物との美的な関係に着目することができるからである。」(竹内敏信「三悪にもの申す」『『風景写真』特別編集 竹内敏信集 完全版』ブティック社、1997年、210-211頁。)

人工物は風景写真の悪である、というこの考え方、これは実際どう受け止められているんですか? 竹内さんはお弟子さんもたくさんいると思うんですが、彼ら彼女らにとって、要するに「コンクリートを撮るなんてとんでもない」という感じなんですか?

永原  そうですね、そういう人たちはいます。割と多くいるんじゃないかな。竹内さんの影響が多かったっていうのと、竹内さんの言っている内容に共感を受けたっていう人はいると思います。

甲斐  なるほど。でも、石川さんの文章は「それでよいのか?」と、それに対してちょっと疑問を呈しているようにも読めますけど。

永原  そうですね。石川はそういう考えだと思います。

甲斐  それは結構大きい問題ですよね。なぜかと言うと、先ほど話した、美術館で展示される風景写真の多く、例えば柴田敏雄さんの写真などでは、人工物が主役とも言えるような位置を占めていて、自然の中の人工物をうまく撮ることがむしろ批評的な風景の見方だっていう考え方が、拭い難くありますよね。竹内さんなどはそういう写真をどう捉えていたんですかね? 石灰岩を掘り進んでいった結果、山にぽっかりと穴が開いている畠山直哉さんの写真とか?

永原  竹内さんって元々伊勢湾の公害問題のルポルタージュに取り組んでいて、その後に「花祭り」という奥三河の奇祭を、10年ぐらいかな、近くに家借りてやるくらい、すごく取り組んでいたんですね。そういうルポルタージュの人だったんですよね。そこから風景写真の方に来るというのかな、風景写真を撮るようになった人なんですよね。だんだん竹内さんは見たくないものは見ないように、見たいものを美しく、というようなスタンスになっていったんじゃないかなと思います。その中で竹内さんにとっては、伊勢湾の公害の問題とも関係していると思うんですけど、コンクリートとかガードレールとか電柱とかは、多分画面に入れたくなかったんだな、と。そうでなくてもっと美しいものだけで、伝えたいと思うようになった。そして、それに賛同する風景写真愛好家がすごく多かったと。「そうだよね」と、多分共感を得たから広まったんだと思うんですよ。

甲斐  なるほど。竹内さんの写真だけを見ていると、自然の綺麗なところだけ見て、頭の中がお花畑状態の人と思われかねないな、と感じていて、自分もちょっとそういう風に思っていたんですよ。でも、竹内さんの初期作品の《汚染海域》を見ると、実際はそうではなくて、環境問題に対する意識をすごく持っていた方だった、ということがわかって、それはこの文章からもわかりますね。これは私の想像なんですけど、竹内さんはコンクリートとかそういうものを撮って、美化したくなかったのかな、っていうこともちょっと考えたんですね。柴田敏雄の写真は、ある意味、すごく美しいんですよね。

永原  はい、はいそうですね、わかります。

甲斐  告発するという目的で撮れるかもしれないけど、写真に撮ったらどんなものも美しくなってしまう、だから撮らないでおこう、という発想なのかな、と。認めたくないっていう。だから単純に「人工物を撮らないから、批評性がない」ってことは言えないと思うんですよね。ただ同時に思うのは、美化したくないから敢えて撮らなかったのではないか、とまで言ってしまうと、深読みしすぎかな、と。竹内さんの考え方を守っていきたいね、というのが、雑誌全体の流れなんですか?

永原  いや、そんなことないですよ。竹内さんの影響は強くて、そういう傾向ももちろんありますけど。もうちょっと竹内さんの話をすると、竹内さんはそういう意味では批評性はあったかなって感じがします。竹内さんの中では、コンクリートとか、鉄とか、近代的なものが生まれる前の日本の風景を見たい、というのがあって、それを見せることで、伊勢湾とかそういうところで、日本人が今まで見てきたであろう自然が変わっていってしまっているということを、写真に撮って見せるんじゃなくて、それ以前の風景を写真に撮って見せることで、忘れないようにしようという意識があったとは思うんです。けれども、その周りの、それに影響された方たちは、人工物を撮らないっていう言葉がキャッチーだったというか、響いたんだと思うんですよね。やや独り歩きして、そういうものが入ってないのが風景写真だ、と自動的にそういうふうに思っている人たちは結構いらっしゃるかなという感覚もあります。

でも、そう思っている人たちも、よくよく聞いてみると、人工物って言うけど、見たくないものを人工物って言っているだけで、例えば、茅葺き屋根とかは完全に人工物ですけど、別にそれはいいんですよ。昔の木の船とか、特に否定しないし、あと棚田もそこまで否定しない。棚田なんて土木工事の成果なわけなんですけど。だから、そういう広い意味での人工物ではなくて、近代以降の自分たちが見たくない人工物のことを人工物って言っているんだなと思います。

甲斐  なるほど。引用した竹内さんの文章でも、後半部分では「ルポルタージュをやっていたころ、住民が何気なく建てた小屋や、生活施設がじつにその土地の景観とマッチしていることを発見して驚いた」と書いているので、人工物は全部ダメってわけではないんですよね。

永原  そうですね。

甲斐  どこからオーケーで、どこからダメかっていうのは、もちろん恣意的になると言えばなるんだけど、だからと言って「電線は認めないけど、茅葺き屋根は認める」という考え方を非論理的だと言って簡単に切り捨てることもできないように思うんですよね。というのも、竹内敏信とは逆の方向性を突き詰めたら、どんな馬鹿でかい人工物を自然の中に作っても、慣れてきたら美しく見えるからいいじゃないか、ということにもなりかねない。それはそれで怖い考え方で、それだったらもう別に山をいくら切り崩してもかまわない、っていう話にもなり得る。これは風景写真に限らない話だと思うんですよね。むしろ風景の美学というか、風景をどう捉えるかっていうことですから。風景写真に人工物を入れるか否か、入れるとしたらどのような人工物であれば許容されるのか、というのは、単に写真の世界だけの話ではなくて、環境問題に対する一つの見識というか、一つの立場の表明であることは間違いないなと思いました。

4.読者とのつながり

甲斐 ここで遅ればせながら、雑誌について基本的なことを聞いておきたいんですけど、主な読者層はどういう方たちでしょうか?

永原  統計的な話をすると、70代男性がメインだと思います。

甲斐  仕事をリタイアした層?

永原  そうですね、そこが大きいかなと思います。あるいはリタイアされないまでも60代とか。

甲斐  それはもうずっと変わらず、ということですか? やはり、そのぐらいの年齢になると購読するという。

永原  はい。

甲斐  『風景写真』のYouTubeチャンネルを見ていると、誌面に登場する講師の写真家たちの中には、結構若い方もいらっしゃるようですが。

永原  もちろん、いっぱいいます。20代、30代、40代、50代の方もいっぱいいますけど、メインということで言うと70代男性ですよっていう話ですね。もちろん今70代の方たちも、40代とかからやっていた人たちもたくさんいるので。

甲斐  読者層を拡大していきたいとか、この年代にもっとアピールしていきたいとか、何か方針のようなものはあるんですか?

永原 雑誌の話なので、売り上げとかのことを考えたらもちろん全世代に買ってほしいと思いますけど、なかなかそういうわけにもいかず。

甲斐  もしこれ聞いている方で、『風景写真』という雑誌を見たことがない方がいたら、是非、手に取ってほしいと思うんですよね。変な言い方ですけど、すごく真面目な雑誌というか。写真雑誌とかカメラ雑誌って、どこか軽いところがあるんですけど、全然そういう感じはしなくて、ハイ・クオリティなものを求めているんだなってことは、定期購読の読者でなくても、すごくよく伝わってきます。

永原  ありがとうございます。それは読者の方が求めているからっていうのが大きいと思いますね。

甲斐  写真雑誌、カメラ雑誌がここ数年、次々と休刊して、アマチュア写真業界が大きい変化の最中にありますけど、そのことの影響は何かありますか? 休刊した雑誌を読んでいた読者が集まってきたりとか、逆に減ったりとか?

永原  読者が集まってきたってことはないです。影響があるとすれば、本屋さんでカメラ・コーナーがすごく縮小されて、あんまりお客さんがカメラ・コーナーに行かなくなっているんだなっていうのはありますけど。2大カメラ誌がなくなったわけで、本の売り場の面積としても減った、というのがあります。うちはあんまり関係ないかな、というのは、『風景写真』はカメラ雑誌ではないかな、っていうのは自分でも思っていて、「写真雑誌だよね」っていう感じで。カメラのことも紹介はしているんですよね、全体の中で、2ページとか4ページとか。ただ、それぐらいで、あとは写真を掲載すると。大きな紙面で写真を掲載するってことを、ぶれずにやっている雑誌かなと思います。なので、影響はあまりないです。

甲斐  そうなんですね。

永原  (カメラ雑誌と)両方買っていた読者の方もたぶんいたと思いますけど、『風景写真』だけを買っているっていう人が多いのかなっていう気がします。

甲斐  コアな読者の方たちに支えられているという感じですか? ずっと読んでいらっしゃる方たちに。

永原  おっしゃる通りです。ありがたい話です。

甲斐  『風景写真』のYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/@fukeishashin)にアップされている「チームチャンピオンズカップ」の動画を拝見したんですけど、誌面を超えた読者との繋がりを作るような活動もされているんですね。

永原  はい、今言ったように読者の方に支えられているので、読者の方と誌面を超えた繋がりは結構あります。チームチャンピオンズカップは、チーム戦で撮った写真を戦わせるっていうイベントで、長野県で2016年からやっています。もちろんそういうイベントもあるんですけど、それ以外にも、例えば『風景写真』が企画した写真展で、ちょっと昔で言うと飲み会とか、そういうのはかなり頻繁にありますね。他にも、いろいろと助けていただいています、読者の方たちには。ボランティア的なところで。そういう意味では結構あるんじゃないかなと、繋がりとしては。

甲斐  そういう意味では、『アサヒカメラ』や『日本カメラ』とはちょっと違ったんですかね? あくまで想像ですけど、『アサヒカメラ』や『日本カメラ』くらいの規模の雑誌になると、そういうレベルで編集者と読者が直接のつながりを持つのは難しかったんじゃないかと。

永原  そうじゃないかなと思います。読者の方の顔が見えているし、逆に言うと多分編集者の顔も見えていると思うし。そういう意味で言うと、定期購読がすごく多いと思いますよ。『アサヒカメラ』さんとかよりは、多分、発行部数の絶対数は少ないんですけど、定期購読は(相対的に)多かったんじゃないかなって気がします。

甲斐  なるほど。今のお話を聞いて思ったのは、雑誌を通してある種のコミュニティができている、ということなんですね。

永原  そうですね。だから、さっき石川の言葉で「風景写真の歴史」って言いましたけど、そういう何か『風景写真』って雑誌をハブにした、あるコミュニティっていうのが、なんとなく存在しています。なので、単語もそういうふうに使ってしまうっていうのはあると思います。

甲斐  だからこそ前田さん、竹内さんの系譜というか、伝統というものの大切さも増してくるというか。

永原  そうですね、おっしゃる通りです。

甲斐 チームチャンピオンズカップを共催している『フォトコン』は、雑誌としては別の会社ということですか?

永原  はい、全く別の会社で別の雑誌なんですけれども、読者層が結構かぶっているという感じですね。『フォトコン』さんというのは、その雑誌の名の通りフォトコンテストをメインにした雑誌なんですけども。そこに応募している人と『風景写真』のフォトコンテストに応募している人が結構かぶっている。『フォトコン』さんはいろんなジャンルがあるので、風景だけではないんですけど、その中の風景に応募している人がかぶっているというのはありますね。それで、一緒にやろうって話になったというのもあります。

甲斐  チームチャンピオンズカップの動画、見ていると面白いんですよね。複数の審査員の方がそれぞれ写真を選ぶ、という。

永原  無謀なことではあるんですけど。よく最初の頃——まあ今でもそうですけど——よく言われるのは「写真を競わせるとは何ごとだ」と。「芸術なんだから、表現なんだから、戦うもんじゃないだろう」と。そういう意見もあります。それはその通りで、特に反論はしないですけども。それを柔道の団体戦のようにして競わせてしまう。それで何をしたいかっていうと、風景写真というもので楽しんでほしいということの一環ですね。部活に似てるってよく言われるんですよ。「昔の高校時代を思い出します」とか。チームで作戦を立てて、みんなで合宿したりして、ここで撮ろうとか、そこで撮ろうとか、そういう感じで。それに加えて、大人になると舞台に立つことがない、スポットライトを浴びることがない。チームで舞台に上がって戦うわけですよ。右と左、赤と白に分かれて。写真を1枚ずつ出し合って5人チームで。そういうドキドキしたチームの感じっていうのが新鮮だっていうことで、盛り上がっていると思います。

甲斐  そういう意味では対面でやることが重要なんですね。今年(2022年)は対面で再開したんですよね?

永原  はい、今年は対面でやりました。長野県の茅野でやっているんですけどね。撮影も1泊2日の決められた期間だけ、長野県内っていう条件付きで。同じ環境なので、今日は天気が良くなかったとか、朝焼けがなかったからとかが言い訳にならないっていうのかな。みんな同じ条件で撮っているので。そういうイベントです。

甲斐  写真を競わせられるのか、ジャッジできるのかっていう意見は確かにあると思うんですけど、それと同時に、動画を見ていると、審査員の判断も結構分かれていますよね。あれだけ分かれると、なんというか、逆に言えば、完全に白黒つけることはできないっていうのを示しているようにも見えますね。

永原  はい、それも意図としてあります。写真というのは人によって見方が全然違うので、今回も前回もそうだけれど、5人の審査員なので、3対2とかになるわけですよ。だから、写真の見方は一様ではないよ、ということですね。

甲斐  やっぱりそこら辺はそういう考えでそうなっているということなんですね。

永原  そうですね。それは示したいというのはありますね。

甲斐  なるほど。これも是非、本日聞いていらっしゃる方、是非YouTubeの動画を見てみてください。面白いので。

永原  ありがとうございます。一度参加した方はやみつきになるみたいです。写真は孤独な戦いじゃないですか。自分で撮って、自分で評価して、人に見てもらうっていうね。そこにチーム戦っていう発想を持ち込んだっていうところですかね。

甲斐  チームは写真サークルとか、元々の知り合い同士で?

永原  やっぱりそういうのが多いですよ。

5.規範と革新

甲斐  フォトコンテストがやはり雑誌の大きな部分を占めているわけですよね? 読者の多くがコンテストに応募している、という理解で正しいですか?

永原  いや割合から言うとそんなことはないです。出していない方がほとんどです。読者の一部の方が出しているっていうのが実際のところです。実際に投稿しているのは一部だけれども、自分も出したらどうなるかなとか、そういう見方をして楽しんでいただいているとは思います。自分は出していないにしてもフォトコンテストのコーナーを楽しみに見ていただいているな、というのは感じます。

甲斐  誌面構成を見ても、非常にコンテストの比率が高いですよね。

永原  半分ぐらいフォトコンテストですね。前半の方に作家、いわゆる風景写真家のギャラリーを掲載して、後半がフォトコンテストなんですけども、後半の方が面白い、みたいな読者の方からの意見もあります。

甲斐  そういう意見もあるんですか。確かに、写真雑誌においてコンテストの比重が大きいっていうのは歴史的にずっとそうで、それこそアルスの『カメラ』といった戦前からあった雑誌にまで遡れると思いますけど、そこで気になるのは、やはり審査の判断基準ですよね。『風景写真』ではコンテストの投稿作品の審査は、審査員の写真家の方々におまかせっていう感じですか?

永原  審査員の方におまかせです。もちろんコンテストなので一定の縛りはあります。例えば合成はしちゃいけないとか。富士山の上に月を置きたいなと思って月を別のところで撮ってきて富士山の上につけるとか、そういうのはNGだったりはしますけれども。あと、公序良俗に反するものとか。そんな縛りはありますけど、基本的には審査員の方におまかせです。

甲斐  なるほど。先ほどの人工物の話にも関連しますけど、部外者の視点から見ると、コンテストの入選作は非常に統一されているように、やはり見えるんですよね。『風景写真』という雑誌特有の「風景写真」に対する考え方がある、とさっきおっしゃっていましたけれども、「風景写真」という言葉自体は、例えばアサヒカメラ編集部が出していた『アサヒカメラ教室』というジャンル別の撮影技法書のタイトルとして使われたりもしているんですよね。ただその場合の「風景写真」には、自然風景だけでなく、都市風景も結構入っていて。雑誌『風景写真』以外の世界では、都会の生活が写っていても、風景写真のくくりに入れられることが多いんですよね。でも今のお話だと『風景写真』では、この雑誌ならではの、風景写真観が形成されてきたと。

永原  そうだと思います。夜景もあったり、都市風景も、それこそスカイツリーとかの写真もフォトコンテストで入賞したりもしますけれども、大きく言うとそうだと思います。都市風景は多い方ではないですね。NGではないんですけど。

甲斐  なるほど。それはやはり、暗黙のうちという感じなんですか?

永原 そうですね。

甲斐 風景写真についての批評とか理論とか、そういうことを議論するという感じでもないわけですよね。

永原  ないですね。

甲斐  そういう中で「『風景写真』という雑誌で、自分は風景写真を変えてやるんだ」みたいな、例えば「自分は電線をばりばり撮ってやるんだ」とか、そういう話にはあんまりなってこない、という感じですか?

永原  いや、多分そう思う方もいたり、うちの誌面にも登場した鉄塔写真家の方もいたりして、別に「変えてやる」でも全然いいと思いますし、全然ウェルカムですけど、それがどれだけの支持を得られるかっていうところなのかな、と思います。

甲斐  その支持というのは、やはり読者の支持ということですか。先ほど、読者との結びつきが強いという話がありましたけど。

永原  はい。

甲斐  やはり結構、反応があるんですか。こんな汚いものは載せるな、とか。

永原  なんとなく、ですけどね。なんとなくではあるけれども、やっぱりありますね。読者の方が開いている写真展とかにも行くわけですよね。そうするとどういう写真が飾ってあるとか、そういう意味で、なんとなくですね。

甲斐  それに関連して伺いたいのが、前田真三さんのお孫さんが編集したこの本、『HILL TO HILL』(ブルーシープ、2021年)なんです。

永原 (前田)景さんですね。

甲斐  これ見てすごく面白いなと思ったんですよね。もっと注目されてしかるべき本かなと。お孫さんがグラフィックデザイナーで、『風景写真』の前田真三生誕100年特集のインタビューで語っていらっしゃいましたけど、自分のお爺さんの写真を今の若者にも理解できるような形で出版したかった、みたいな話だったんですよね。この本で前田真三の写真を見ると、『風景写真』の誌面で見るのとは、かなり違って見えるなという印象を持ちました。そうすると逆に、『風景写真』の読者からすると、どう見えるのかなと。この本に対するリアクションというのは、どんな感じなんですか? デザイン的な視点で写真を配置しているし、印刷の感じとか、紙質もかなり違うので。

永原  どうなんですかね。読者を広げてくれる存在として期待はしています。それが100%いいと思う人ばかりではないとは思ってますけど。でも、可能性としては期待しています。

甲斐  この本を見ると、元々ストック・フォトとして意図されていた面もあるということで、素材として色々な再解釈の余地があるな、ということを感じました。不思議なんですよね。時代としてはかなり古い、40年ぐらい経っている写真も、何か時間を感じさせないところがあったりして。前田真三の写真って、もっとアカデミックな世界、美術批評とか現代アートとか、ちょっと斜に構えたような視点で写真を見る立場からしても、面白さというか、いろんな取っ掛かりがあるとは思うんですよね。

永原  多分一つは、表現だと思って撮っていない、というのがあると思うんですね。それで膨大な写真を残したっていうのが、後から素材として使えるっていうのかな。解釈し直せるっていうか。トリミングとかも全然した方なんですよ、前田真三さんは。もちろんしていないのもありますけど、自分の写真を素材として使うことにそんな抵抗のない方ですね。丹渓という工房スタイルをとっているというのもその一つだと思いますけど。そういう意味で珍しいかも知れないなと。珍しいけれど、日本にはそういうスタイルって結構あるかなとも思って。誰々と名前がついているんだけど、実は違う人が撮っているとか、工房の誰かが撮っているみたいな。浮世絵とかあるじゃないですか。まあヨーロッパでもありますけど。

甲斐  なるほど。そういう意味では近代以前の伝統につながるところがあるし、他方では、写真の作者性を疑うポストモダニズムの思想につながってくるところもありますよね。つまり「写真は誰かの個人の作品と言えるのか?」と言う議論があって、「写真は誰の作品でもない」、「写真の作者は個人ではありえない」という主張が出てくる。でも、そこである種の逆転が生じて「だからこそ写真はアートとして面白い」みたいな面もあるんですね。1970年代後半から1980年代にかけて、いわゆるポストモダン・アートが出てきて、図らずも前田真三の写真はそういうものに近づいている部分はあると思うんですけどね。

永原  そうですね。アートとかは(前田真三は)考えてないと思います。

甲斐  そうですよね。ただこの雑誌『風景写真』において、風景写真の「巨匠」として扱われる中では、やはり彼が作家であるということが重要なんですよね? そこら辺どうなんでしょう。風景写真の作者性という、ちょっと概念的な話になりますが。

永原  いわゆる括弧付きの風景写真の中ではもちろん作家性っていうのはありますね。(少し考えて)うん、あります。

甲斐  それはある意味、日本の伝統芸能と、やはりつながってくるところがあると思うんですよね。よく指摘されますけど、写真は、生け花とか俳句とか、ああいうお師匠さんとお弟子さんがいる日本の伝統的な習い事に似ているところがあって、それは別に風景写真に限らず、日本の写真界自体にそういう面があると言われることがありますね。本来、作者性がそれほど明確ではない芸術であるにもかかわらず、作者がカリスマ化していく、という。ただ、風景写真が他の写真ジャンルとちょっと違うと思うのは、撮るときに自分の作品を作りたいという意識もあるかもしれないけど、ただ単に撮る楽しさというか、自然の中に出て行って、特別な瞬間を捕らえるそのこと自体の楽しさもあると思うんですよね。良い作品を作るっていうことだけじゃなくて。

永原  それはかなり大きいと思います。その行為というか、撮る楽しさ、行く楽しさ、見る楽しさは、かなり大きいと思います。副産物として写真ができる、というのは実際あると思います。

6.現代アートとの距離感

甲斐  次の質問に行きたいと思いますが、自然風景と人工物との関係性を主題にしている写真家、例えば、柴田敏雄、畠山直哉、鈴木理策、笹岡啓子といった人たちの作品を、『風景写真』に登場する写真家たちはどのように捉えているんですかね? 自分の写真も本来なら東京都写真美術館で展示されるべきなのに、彼ら彼女らばかり優遇されておかしいじゃないか、とか、あるいは、現代アートの世界にどんどん近寄っていく写真家たちに対する不信感みたいなものって、やはりあるんですか? 人それぞれでしょうし、写真家の気持ちを代弁するのは難しいかもしれませんが。

永原  大まかに言って、気にしてないと思います。

甲斐  そもそも見もしないってことですか?

永原  そうですね。先ほど「作家性があると思って撮っていますか」みたいな質問をいただいたじゃないですか。そこで歯切れが悪かったのは、質問リストにこの方たち(柴田敏雄、畠山直哉、鈴木理策、笹岡啓子)の名前があったからなんですけど。いわゆる風景写真家の人たちはもちろん、自分の作家性、個性を出そうと思って風景を見て、写真を撮ってます。けれども、ここに今名前を挙げた柴田さん、畠山さん、鈴木さん、笹岡さんのような意識の作家性とは違うなと思ったので、何と答えたらいいのかなと思って、言い淀んだんですけど。

甲斐  違う意識と言うと、どういう意識なんですかね?

永原  さっき甲斐さんがおっしゃったように、やはり風景写真家は、風景が美しいと思って撮りに行くんですよ。自分が感動したものを、自分の視点で。感動するものは人それぞれ違うんで、その人の個性が出るんですけど。自分の心が動いたものを撮る、というスタイルだと思います。ここに名前が挙がった方たちは写しているものよりも、それを撮ることで、写真というメディアはどんなものかと問おうとしたりとか、もうちょっとメタな視点で捉えているじゃないですか。何というか、レイヤーが違うというか。風景写真家が持っている作家性と、今名前の挙がった方たちの持っている作家性は多分違うだろうな、と思ったんです。そういう意味で、あんまり気にしていない。気にしている方もいますよ。いますけど、ほぼ気にしてない。

甲斐  違う世界で、違うことをやっている人たちという感じなんですね。

永原  多分興味が起きないんじゃないかなと思います。なぜなら風景が美しいと思って撮っているから。

甲斐  ただ、さっきの話に戻ると、柴田さんの写真などはやっぱり美しいと思うんですよね。畠山さんの写真も美しいですし。柴田さんは、自分は主に造形的な関心から風景を撮っている、という意味のことを語っていますよね。[3]  そうすると竹内敏信とはむしろ逆の関係にあって、竹内さんはコンクリートは写さないけれど環境問題を意識していて、柴田さんはコンクリートを写すけれど、人間による自然の改変を告発する意図はなくて、むしろ美的な関心から撮影している、というふうに、ねじれた関係になっている。笹岡さんの「Remembrance」のシリーズも、ある種、対象を美的に捉えている面は絶対否定できないと思うんですよね。それが良いか悪いかは別として。でも今の話だと、『風景写真』常連の写真家の人たちの目から見ると、柴田敏雄も畠山直哉も、風景美というものに対して無関心で、違う意識で写真を撮っているように見えるってことなんですかね?

永原  なるほどね。なんかいろんな次元の話があるんで、難しいですけど、括弧付きの風景写真の世界の話をすると、風景の美しさ、ちょっと乱暴に言ってしまうと、季節の移ろいの美しさっていうのかな、それをどう捉えるか、みたいなことだと思うんです。

甲斐  でも——こういう質問はあまり建設的ではないかもしれないですけど——鈴木理策の写真でも、季節の移ろいは捉えられていますよね? 単純に不思議なんですよね。対抗意識とかライバル心を燃やさないのかな、と思うわけです。確かに『風景写真』の風景写真と、現代アートの美術館で展示される風景写真には大きな違いもあって、後者では、写真の本質についての問いがセットになっていて、それがある意味で、作品を美術館で見せるうえでの戦略にもなっているわけですね。鈴木さんもインタビューで、人間の知覚と写真映像の差異について語っていますし、畠山さんも、メディアとしての写真の本質について色々と書いていますよね。[4]  現代アートの文脈で見せるには、単に風景礼賛じゃなくて、写真メディアそのものについても考えるということが重視されているので、作者によって明言はされなくても、知覚の問題とか、印象派との関係とか、単に風景を撮っているわけではなくて、同時に、写真とは何かを問うている作品が評価される傾向がある。

永原  そっちの基準の方が大きいんじゃないですか。風景はあくまでも素材で、風景を使って自分の言いたいことを言うっていうところかな。

甲斐  『風景写真』側からは、そういうふうに見えるということですね。

永原  そうですね。写っている風景自体に興味があるのか、他のところに興味があるのかは、多分、絵柄を見ればわかりますよ。

甲斐  なるほど。でも、どうだろう……。

永原  と思います。いわゆる風景写真を好きな方は、その絵柄には反応しないんだと思います。

甲斐  逆に言えば、「写真とは何か」とか、そういう問いっていうのはあまり意識に上がらない、ということですか?

永原  そうですね、写真よりも風景の方に興味があると思います。

甲斐  でも、それって可能なんですかね? つまりそういう興味で撮られた写真も、結局のところ、写真じゃないですか。風景とイコールではない。もちろんその撮るという行為が大事で、実際にそういうところに訪ねて行って、特別な瞬間を体験して、それを記録に残したい、というのはわかるのだけれども、同時に、写真そのものについて考えないことは可能なのかな、と。風景の写真を撮っているうちに、そういう問いに自然と行き着くんじゃないかな、という感じもするんですが。

永原  行き着く方もいますよ。けど、そんなに多くはないかな。ただ、むしろ変わった方というか、特異かな、という気はします。

甲斐 そのあたりは、永原さん自身はどう考えているんですか? というのも、現代アートとしての写真を扱うコマーシャル・ギャラリーで働いたり、IZU PHOTO MUSEUMの学芸員をされたりといった、そういう過程を経て、今この仕事をされているわけですけど。

永原  さっき甲斐さんもおっしゃったけど、俳句とかお花とかに、やはり近いと思うんです。そこは別に良いことでも悪いことでも、どっちでもなくて。そういうときに、俳句のメディアとしての本質、というのを考える人は、どれほどいるだろうなっていう感じがします。俳句もどこかを訪ねたときにこういう気持ちになったとか、季節の移ろいに対して私はこう感じた、とかいうのを俳句に載せるのが主眼じゃないですか。「俳句ってどんなメディアなんだろう」みたいなところまで行き着く方もいるとは思いますけど、別に行き着いたから良いとも思わないし、それが本当に俳句の魅力なんだろうかと思いますし。そういう意味では、風景写真も同じ構造かなっていう気はします。

甲斐  なるほど。確かに「写真メディアの本質とは何か」みたいな方向に行きすぎてしまうことには弊害もあって、例えば、東京都写真美術館で開かれている現代写真の展覧会などを見ても、そっちに行きすぎちゃっている感じはありますね。「写真とは何か」を問うていればそれでオーケー、みたいな。その結果、どんどん内容が空疎になっていくというのは、確実にあるんですよね。考え方がすごく狭くなって、つまらなくなってしまうというのは、絶対ありますね。

永原  風景写真はフォーク・アートというか、民衆芸術だと思っていて、そこが風景写真の素晴らしいところだと思うんですけど、民衆芸術はメディアについてはそれほど問わないですよね? 結果的にそれを見る人がね、批評的に見られるようになることはあると思いますけど、やっている人たちは多分そういうモチベーションではやってないし、できないと思います。民謡とかも同じだと思うんですけどね。やっぱり歌うのが楽しくて、歌って、その中から優れた人が作家としてちょっと頭一つ飛び出て、CDが売れたりもするんですけど、「歌とは何か」みたいなそういうモチベーションでは歌っていないと思うんです。

甲斐  なるほど。確かに民衆芸術として見れば、メディアの本質などを考えたところで、さほど得られるところがないというのはわかります。

永原  楽しいかどうかですね。みんなの支持が得られるか、みんながそれいいよねって思えるかっていうところだと思いますけど。

7.アマチュア写真にかかるお金

甲斐  続いてちょっと違った視点の質問をしたいんですけど、レンズ交換式デジタルカメラを購入する経済的余裕のない読者層についてはどう考えますか? 雑誌を拝見した印象として先ほど「ハイ・クオリティ」という言葉を使いましたけど、上質感がすごいな、と思って。でもそれは同時に、撮る方もあれを見ると、すごく良いカメラを持って、すごく解像度も高くて、階調も見事な写真を撮らないといけない、という気持ちになると思うんですよね。それはもちろん読者層とも関係していると思うんですけれども。逆に、お金は全然ないけど風景写真を撮りたい、あるいは、この『風景写真』という雑誌と何らかのつながりを持ちたい、という読者に対して、何かメッセージを発したりはしているんですか?

永原  メッセージは出してないですね、特に。ただスマートフォンで(フォトコンテストに)入賞している人も何人かいますし、それこそ「らくらくフォン」で撮った写真とかも入賞したりしています。だからといって「スマホでどんどん撮りましょう」というメッセージを出しているわけではないですね。選ぶ段階ではプリントで選んでいるので。入賞した後に、何のカメラで撮ったのかわかるぐらいの話で。だから、あんまり気にしてないですね、何で撮ったかっていうのは。「上質」と受け取っていただきましたけど、比較的、生活に困ってない人が多いとは思っています。仕事の傍ら、休みの日に交通費を使って行く人が多いわけで、やはりそれなりに余裕がないとできないことだと思います。撮ってきた写真がすぐ売れたりとか、すぐお金に直結する人だったらいいですけど、実際にはそういうことはないと思うので。風景写真だけじゃなくて、唄の世界とかお花とかもそうだと思いますけど、そういう趣味に時間を割ける人っていうのはみんなそうかな、という気がします。あと、決して悪いつもりで使う言葉じゃないですけど、旦那芸の一つだなと思っているんです。旦那衆たちが芸術的な感性もあるんだよっていうのを示したりとか、あと、機材に凝る感じ。『風景写真』って関西の人たちがすごく強いんですよ。そういう意味で、旦那芸の文化は生きているな、という感じはしますね。

甲斐  なるほど。どういう人がアマチュア写真家になり得るか、というのは長い歴史のある問題で、それこそ1950年代の土門拳なんかは、戦前のアマチュア写真は旦那芸で、ブルジョワ的だったけど、現代のアマチュア写真は誰でも、それこそ小学生でも安いカメラで撮れるようなものでなくてはいけない、みたいなことを主張して、人気者になったわけですよね。福原信三みたいな、会社の社長をしているお金持ちのアマチュア写真はけしからん、みたいな。ただ、今のお話だと、やはり生活に経済的余裕のある人が主要な読者になっていて、なかなかそこから読者層を広げていくのは、ちょっと難しい面がある、という感じなんですかね。

永原  もちろん、戦前の浪華写真倶楽部とか、そういった時代からしたら、すごく大衆的になっていると思いますよ。そう思いますけど、それにしても、やはり余裕がないとできないことかな。風景が綺麗なところに行かなくても、近くの公園でも撮れるんですけど、やっぱり欲が出てきて、あそこに行きたい、ここに行きたいってなってくると思うんで。そうしたら、こういうカメラが欲しいってなってくると思うんで、写真を撮るためには、ある程度余裕は必要かなと思います。

甲斐  そこら辺を雑誌の方で変えていこうとか、新しいアマチュア文化を作っていこうとか、そういうのって雑誌のある種の使命だとは思うんですよね。

永原  なるほどね。そういう意味では、できてないかもしれないですね。東京カメラ部とか、そういう存在の方が、より大衆化に貢献しているかもしれないですね。

甲斐  確かに、インスタグラムにスマホで撮った写真を投稿するとか、色々なやり方がありますから、そういう意味では、色々な層に、色々なメディアがそれぞれ対応すれば良い、という考え方も、もちろんあるとは思います。

永原 うちの雑誌も高いですしね。

甲斐  確かに、高校生が気軽に買える値段ではないですね。

永原  SNSは無料じゃないですか。そういう意味では、お財布には優しいかなと思いますね。

甲斐  アマチュア写真の中で住み分けがなされていると考えれば、『風景写真』が経済的に余裕のある層向けだからといって、けしからんという話にはならないとは思うんですけど、一方で、カメラ業界との関係もあると思うんですよね。カメラって全体的にどんどん高くなっていますよね。YouTubeチャンネルの動画(「カメラ放談「写真家と編集長がホンネで語りあった:風景写真家が欲しいミドルクラスカメラ」https://youtu.be/NiN2uN91Ow8)でもそういう話題が出ていましたけど。これはもう、避けがたいことですか?

永原  より趣味になっていってるんだと思います。スマホで写真を撮れるようになったので、そこまでして撮りたい人っていうのは、相当入れ込んでる人というか、中くらいの人が減っていっているんだと思います。

甲斐  それが個人的には、ちょっと寂しいところで、自分が大学生の頃はフィルムカメラがメインでしたが、一眼レフでも10万円以下で一通り揃いましたよね。

永原  買えましたよね。動画でも言っていますけど、今は15万円ぐらいでミドルクラスとかなんですよ。ミドルでも買えないな、みたいなのはありますね、感覚的に。

甲斐  そうですよね。レンズ交換式のカメラ、もう簡単には買えないなと思って。

永原  30万、40万、50万、60万、70万ぐらいが主流になってきているとは思います。

甲斐  大きい流れとしては、スマホのカメラが高性能化して、カメラメーカーは高付加価値の製品に特化しないとやっていけないということで、そちらの方向で業界として生き延びを図っているという感じなんですか?

永原  それもあるのかもわかりませんけど、求める方も、ある一定のカメラを求める方は金額よりも内容を求める、ということだと思います。

甲斐 50万円しても、良いものが欲しい?

永原  はい。

甲斐 だからカメラメーカーとしても、そっちの方向になる。

永原  そういうことだと思います。

甲斐  そうすると、大学生や高校生が写真を本格的に始めるってことが金銭的に難しくなってきているんですよね。大学の授業(https://yoshiakikai.com/hyogen2022/)で、デジタル一眼で写真を撮って、作品制作をしながら、写真論や写真史について考える、というのをやっているんですけど、そこで使っているのが、10年くらい前のEos Kissデジタルなんですよね。レンズキット付きで3万円弱で買える中古品を大学の備品として用意して、それを使っているんですけど、授業が終わった後、自分で写真をやりたいと思っても、新品のレンズ交換式のカメラで、大学生が気軽に買えるものがないんですよね。それはもう業界の流れとしてそうなっているんですかね?

永原  そういう状況だと思います。若い人たちも結構いいカメラを持っていて、それがお金持ちかというと、決してそういうわけじゃなくて、全財産をカメラにつぎ込むぐらいの人たちが結構いる。

甲斐  それはどこか、戦前の状況みたいな感じもしますね。ライカ1台で家が買えるとか言われた、そういう時代。そう考えると、趣味としての写真文化も、資本主義とか写真産業によって規定されている部分が大きいな、とあらためて感じますね。

永原 (写真に限らず)趣味のスタイルがそういうふうになっているんじゃないかなと思って。広く浅くあれもやって、これもやって、というよりも、狭いマニアックなところに全額つぎ込む的な。

甲斐  なるほど、写真だけの話ではないかもしれませんね。

8.風景写真と環境問題

甲斐 残り時間が少なくなってきましたので、最後の質問に移ります。参加者の方から事前に頂いた質問に基づくものですが、「風景写真撮影と環境保護の関係について、誌面または編集部で、話題に上がることはありますか?」という質問です。風景写真の撮影が自然環境に対する人々の意識を高めて、自然保護のきっかけになる可能性がある一方で、場合によっては、撮影行為が自然破壊につながる可能性もあると思うんですね。ジャンルは違いますけど、いわゆる撮り鉄の一部の人たちが、鉄道が好きなはずなのに、鉄道の運行を妨害したりするのは一体どういうことなんだ、みたいな話がよくあるじゃないですか。同じように、風景を愛する人が、風景を傷つけてしまう、ということも場合によっては、あるのかな、と。例えば、写真に邪魔な枝を切ってしまうとか、起こりかねないですよね。

永原  はい。起こりかねないですね。昔はあったようですけど、最近の方たちはもっと意識が高くて、昔よりは減っていると思います。よく聞くのは、昔はフィルム・ケースとか箱とか、その辺に捨てている人が多かったと。でもそれは写真だけではないですけどね。街中のゴミとかも昔は多かったので。あと僕が日頃から、どうしたらいいかなと思っていることは、撮影には基本的にガソリンを使って車で行くわけですね。ガソリンを使うなって言ったら、風景写真を撮れないですよね。そこは結構、矛盾があるかなと思ってはいます。CO2を減らす行為ではないですよ、風景写真を撮るというのは。公共交通機関を使ったとしてもね。人が移動することに伴うCO2排出は避けられない現状なので、何か良い方法はないんだろうか、というのは思っていますけど。

甲斐  そうですね。それはもちろん写真に限らず、自然に親しむ行為全般に伴う矛盾ですよね。自分もやはり、新潟で自宅近くの山に歩きに行くときなどは登山口まで車を使うので、今おっしゃったとおり、自然に対する愛着を示す行為が、自然を汚しているということの矛盾は感じます。

永原 そうですね。そこはちょっと克服できていないかなっていうところですね。「風景写真の撮影が自然環境に対する人々の意識を高める」というのは、ちょっとエクスキューズかな、という気もしています。実際高められる可能性はあるけれども、環境破壊を相殺するほどの意識を写真によって高められているのか、と。

甲斐  先ほど引用した竹内敏信さんの文章は、その問題にも触れていますよね。要するに、こういう写真を見たり、撮ったりしているうちに、自然を大きく破壊するような公共工事はやめておこうとか、サステナブルな開発を行おうとか、そういう発想が出てくることを期待する、ということですから。ただ、理念としてそういうことがあっても、現実には難しいっていうのは、わかります。そこら辺のことは、永原さんだけではなくて、風景写真を撮る方々はみなさん感じているんですか?

永原  どうでしょうね。東京とか大阪ならばそういう考えもできますけど、それ以外の地域では、そもそも車しか移動手段がないわけじゃないですか。風景写真を撮らなくても、車に乗るわけじゃないですか。仕事に行くだけでも、買い物に行くだけでも。

甲斐  そうですね。車がないと大変ですね。そういえば、先ほど聞きそびれましたけど、読者の中には、自然の豊かなところで暮らしていて、地元で撮った写真を送ってくる方と、都市生活をしている方の、両方いるという感じなんですか?

永原  両方ですね。ただ、ちょっと面白いなと私が思っているのは、第一次産業に携わっている方は少ない、ということですね。

甲斐  やはり農業に従事している方は、自然を観賞目的では見ていない、生活の一部だから、ということですかね。

永原  いくつか理由はあると思いますけど、それは大きいかなと思います。漁師の人が撮っている海の写真とか、あんまり見ないですね。農家の方が撮っている、農作業の風景とか。農作業の風景は結構たくさん出てくるんですね、里山的な風景として。でも撮っている方は、農家の方ではない人が多いですね。林を撮っていても、林業の人が撮っているか、というと、そうではないことが多いですね。

甲斐  つまり、地方生活者の人も何か違う仕事、サービス業とか第三次産業で働いている人が多い?

永原  近代的な職業に就いている人。ITに携わる方だったり、電力に携わる方だったり、医療に携わる方だったり、あと学校関係だったり、公務員の方だったりが多いですね、風景写真を撮っている方って。そういう気がします。

甲斐  それは自然との関わりっていうことを考える上で、非常に興味深い……。

永原  興味深いですよね。

甲斐  風景写真の歴史を振り返ると、例えばアンセル・アダムスは自然保護活動もしていて、自分の写真をワシントンの政治家に見せて、国立公園の指定のためにロビー活動する、みたいなこともやっていたんですよね。「こんなに素晴らしい自然があるなら、ちゃんと保護しなくてはいけない」という反応を、写真を見た人たちから引き出そうとして、それが実際に成功している。[5]  だから風景写真が、環境保護に何かアクチュアルな作用を及ぼす可能性というのはあるんですね。ただ、それは趣味の写真の世界ではなかなか難しいとは思いますが。何か『風景写真』周辺で、そういう具体的な事例ってご存じですか?

永原  写真が環境保護に結びついた事例ですか? 僕が知らないだけだと思いますけど、どうなんでしょう。

甲斐  あるいは、自然を保護しようと写真家の方が訴えているケースとか?

永原  自然保護というと難しいんですけど、撮影地保護というのはあるんですよね。ちょっと違うとは思いますけど。例えば、有名な木が切られないようにしよう、とか。美瑛に有名な「哲学の木」というのがあったんですけど、そこが私有地なわけで、それまで撮らせていただいていたんですけども、あまりにも人が来すぎて、マナーも良くないと。それは写真家だけに限らず、観光客も含めてすべてですけど、それなら切ってしまおう、そうしたら人が来なくなるだろう、というような話もあったんですね。そういうのを守ろうとか、そういう運動はもちろんありますけど、環境保護とはちょっと違いますよね。

甲斐  でも、撮影行為が撮影した場所に何か悪い影響を与えることを、最小限にとどめよう、という意識はあるわけですよね?

永原  それはあります。ほぼみんな持っていると思います。でも、そのモチベーションとしては、撮影できなくなりたくないから、ということですよね。そういう綺麗な自然がなくなって欲しくないから、というモチベーションですね。環境保護というと生態系を守るとかそういうことだと思うんですが、(撮影地保護は)もうちょっとビジュアルなことに重きを置いた話かなと思います。

甲斐  確かに、個人でどうこうするのは難しい問題ということはわかります。さて、予定の終了時間となりましたので、締めくくりたいのですが、永原さん、本日は色々な質問に答えていただき、どうもありがとうございました。雑誌『風景写真』のコミュニティが形成されているというお話がありましたけど、そのコミュニティの外部にいる者からすると、雑誌の背景がよくわからない部分もあったので、お話を聞けてよかったです。

永原 批評の側からちょっかい出していただくのは全然歓迎なので、嬉しいことだなと思います。

甲斐 雑誌の初期の号を見ると、重森弘淹とか金子隆一とか、写真批評家が結構、寄稿していますね。

永原  はい。それを言うと、風景写真の世界だけじゃなくて、こういうジャンルっていうのがどんどん狭くなっているなと思っていて。昔はもっと横断的だったんですけど。「風景写真ってこうだよね」みたいなものは、悪い言い方をすれば、どんどん凝り固まっているし、先鋭的になっている、という気はします。でもそれは風景写真だけではなくて、いろんなジャンルで「鉄道ってこうだよね」とか「飛行機ってこうだよね」とか「マクロってこうだよね」みたいのがあって。以前は、いろんなジャンルの人たちが『風景写真』に出入りしていたんですけど、そこは狭くなっているかなっていう気はします。

甲斐  確かに、細分化しているというのはありますね。

永原  細分化していますね。創刊号とか見ると「こんな人が出ていたんだ」みたいなのは、やっぱりありますね。

甲斐  それは編集の方でも感じるんですね。

永原  感じます。海外の人が登場したりとかね。今はほぼ日本人の作家でやっていますからね。

甲斐  でも、今後、新たな展開も場合によってはあるかもしれない、ということですよね?

永原  いや、繰り返しになりますけど、意図的な戦略は多分なじまないと思うんです。新しい民謡とか、新しい俳句っていうのは、多分ちょっと違うと思う。

甲斐  やはり、あまり奇をてらったことはしない、ということなんですね。

永原  そうですね、意図的にはそうですね。しないというのもあれですが、観点が違うんだと思います。

甲斐 先ほど話に上がった、前田景さん編集の『HILL TO HILL』などを見ると、前田さんや竹内さんの写真に対しても、色々なアプローチがあり得るように感じましたが、それは雑誌の外でやってください、という感じですか?

永原 いえ、そういうことではないです。前田景さんにやっていただいていることなどはすごく心強くて、一緒にやっていきたいと思っています。

甲斐 なるほど。本日は長時間、どうもありがとうございました。

 


1. 本講演録は科研費若手研究「1990年代以降の日本におけるアマチュア写真文化の展開に関する研究」(課題番号19K13029)の助成を受けて2022年10月28日に実施されたオンライン講演会の書き起こしに、編集を加えたものである。

2. 以下を参照。前田真三「自叙伝」『昭和写真全仕事 SERIES 13 前田真三』朝日新聞社、1983年、121-125頁。

3. 例えば以下を参照。「対談:柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画の往還、始まりとしてのセザンヌ」IMA ONLINE, 2022年5月12日公開。https://imaonline.jp/articles/archive/20220512toshio-risaku/

4. 鈴木については、以下を参照。「柴田敏雄と鈴木理策が語る、絵画と写真の魅力的な関係(聞き手:調文明)」美術手帖ウェブ版, 2022年5月27日公開。https://bijutsutecho.com/magazine/interview/promotion/25630 畠山については、例えば以下を参照。畠山直哉『話す写真:見えないものに向かって』小学館、2010年。

5. 以下を参照。Robert Turnage, “Ansel Adams: The Role of the Artist in the Environmental Movement”(March 1980). The Ansel Adams Galleryウェブサイトに再録。(https://www.anseladams.com/ansel-adams-the-role-of-the-artist-in-the-environmental-movement/)